二宮翁夜話 / 巻之一
翁曰、山芋掘は、山芋の蔓を見て芋の善悪を知り、鰻釣りは、泥土の様子を見て鰻の居る居らざるを知り、良農は草の色を見て土の肥痩を知る、みな同じ、所謂至誠神の如しと云物にして、永年刻苦経験して、発明するものなり、技芸に此事多し、侮るべからず。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、山芋掘(やまいもほり)は、山芋の蔓(つる)を見て芋の善悪(よしあし)を知り、鰻(うなぎ)釣りは、泥土(でいど)の様子を見て鰻の居る居らざるを知り、良農(りょうのう)は草の色を見て土の肥痩(こえやせ)を知る、みな同じ、所謂(いわゆる)至誠神(しん)の如しと云(いう)物にして、永年刻苦(こっく)経験して、発明するものなり、技芸に此(この)事多し、侮(あなど)るべからず。
現代語訳
翁(二宮尊徳)が言われた。山芋掘りは山芋の蔓を見て芋の良し悪しを知り、鰻釣りは泥土の様子を見て鰻がいるかいないかを知り、優れた農夫は草の色を見て土の肥え痩せを知る。みな同じことだ。いわゆる「至誠は神のごとし」というものであって、長年にわたって苦労し経験を重ねて、初めて会得するものである。技芸にはこうした事が多い。決して侮ってはならない。
解説
前条に登場した山芋や鰻を受けて、熟練者が示す洞察力の正体を説いた一条です。山芋掘りは蔓を見て芋の善し悪しを、鰻釣りは泥の様子を見て鰻の有無を、良農は草の色を見て土の肥え痩せを言い当てる――一見神業のようなこの直観を、尊徳は「至誠神の如し」と表現します。ただしそれは天から授かった特別な才ではなく、長年の刻苦と経験の積み重ねによって初めて会得されるものだと釘を刺します。誠を尽くして一つの道に打ち込み続けた者だけが到達する境地であり、あらゆる技芸に共通する。だからこそ職人や農夫の技を侮ってはならない、というのです。積小為大と至誠が結びついた、実学者らしい洞察です。現代でも、熟達した専門家の勘や眼力の背後にある地道な経験の蓄積に敬意を払う大切さを教えてくれます。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳至誠積小為大熟練経験
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