二宮翁夜話 / 巻之一
儒学者あり、曰く、孟子は易し中庸は難しと。翁曰く、予文字上の事はしらずといへども、是を実地正業に移して考ふる時は、孟子は難し中庸は易し。いかんとなれば、夫れ孟子の時道行れず、異端の説盛んなり。故に其弁明を勤めて道を開しのみ。故に仁義を説て仁義に遠し。卿等孟子を易しとし孟子を好むは、己が心に合ふが故なり。卿等が学問するの心、仁義を行んが為に学ぶにあらず、道を蹈んが為に修行せしにあらず、只書物上の議論に勝さへすれば、夫れにて学問の道は足れりとせり。議論達者にして人を言伏すれば、夫れにて儒者の勤めは立つと思へり。夫れ聖人の道、豈然る物ならんや。聖人の道は仁を勤るにあり、五倫五常を行ふにあり。何ぞ弁を以て人に勝つを道とせんや。人を言伏するを以て勤とせんや。孟子は則ち是なり。此の如きを聖人の道とする時は甚だ難道なり。容易になし難し。故に孟子は難しといふなり。夫れ中庸は通常平易の道にして、一歩より二歩三歩とゆくが如く、近きより遠きに及び、卑より高きに登り、小より大に至るの道にして、誠に行ひ易し。譬へば百石の身代の者、勤倹を勤め五十石にて暮し、五十石を譲りて国益を勤るは、誠に行ひ易し。愚夫愚婦にも出来ざる事なし。此道を行へば、学ばずして、仁なり義なり忠なり孝なり、神の道、聖人の道、一挙にして行はるべし。至て行ひ易き道なり。故に中庸といひしなり。予人に教ふるに、吾道は分限を守るを以て本とし、分内を譲るを以て仁となすと教ゆ。豈中庸にして行ひ易き道にあらずや。
書き下し
儒学者あり、曰(いわ)く、孟子は易(やす)し中庸(ちゅうよう)は難(かた)しと。翁(おきな)曰く、予(われ)文字上の事はしらずといへども、是を実地正業(じっちせいぎょう)に移して考ふる時は、孟子は難し中庸は易し。いかんとなれば、夫(そ)れ孟子の時道行はれず、異端の説盛んなり。故に其(その)弁明を勤めて道を開(ひら)きしのみ。故に仁義を説(と)きて仁義に遠し。卿等(きみたち)孟子を易しとし孟子を好むは、己(おの)が心に合ふが故なり。卿等(けいら)が学問するの心、仁義を行(おこな)はんが為に学ぶにあらず、道を蹈(ふ)まんが為に修行せしにあらず、只書物上の議論に勝(か)ちさへすれば、夫れにて学問の道は足れりとせり。議論達者にして人を言伏(いいふ)すれば、夫れにて儒者の勤めは立つと思へり。夫れ聖人の道、豈(あに)然る物ならんや。聖人の道は仁を勤(つと)むるにあり、五倫五常を行ふにあり。何ぞ弁を以て人に勝つを道とせんや。人を言伏するを以て勤とせんや。孟子は則(すなわ)ち是なり。此(か)くの如きを聖人の道とする時は甚だ難道(なんどう)なり。容易になし難し。故に孟子は難しといふなり。夫れ中庸は通常平易の道にして、一歩より二歩三歩とゆくが如く、近きより遠きに及び、卑(ひく)きより高きに登り、小より大に至るの道にして、誠に行ひ易し。譬(たと)へば百石の身代(しんだい)の者、勤倹(きんけん)を勤め五十石にて暮し、五十石を譲りて国益を勤むるは、誠に行ひ易し。愚夫愚婦(ぐふぐふ)にも出来ざる事なし。此道を行へば、学ばずして、仁なり義なり忠なり孝なり、神の道、聖人の道、一挙にして行はるべし。至て行ひ易き道なり。故に中庸といひしなり。予人に教ふるに、吾道(わがみち)は分限(ぶんげん)を守るを以て本とし、分内(ぶんない)を譲るを以て仁となすと教ゆ。豈中庸にして行ひ易き道にあらずや。
現代語訳
ある儒学者が「孟子はやさしいが中庸は難しい」と言った。翁は言われた。「私は文字の上のことは知らないが、これを実地の正しい仕事に移して考えれば、孟子は難しく中庸はやさしい。なぜなら、孟子の時代は道が行われず異端の説が盛んだった。だから孟子はその反論に努めて道を開いただけだ。それゆえ仁義を説きながら、かえって仁義から遠い。あなた方が孟子をやさしいとし好むのは、自分の心に合うからだ。あなた方が学問をする心は、仁義を行うために学ぶのでも、道を踏み行うために修行するのでもなく、ただ書物上の議論に勝ちさえすれば学問の道は足りると思っている。議論が達者で人を言い負かせば、それで儒者の務めは立つと思っている。だが聖人の道が、どうしてそんなものであろうか。聖人の道は仁に努めることにあり、五倫五常を行うことにある。どうして弁舌で人に勝つことを道とし、人を言い負かすことを務めとしようか。孟子はまさにこの議論の道だ。こういうものを聖人の道とするなら、はなはだ難しい道であって、容易にはなし得ない。だから孟子は難しいというのだ。一方、中庸はごく平易な道で、一歩から二歩三歩と進むように、近くから遠くへ及び、低い所から高い所へ登り、小から大へ至る道であって、まことに行いやすい。たとえば百石の身代の者が、倹約に努めて五十石で暮らし、残る五十石を譲って国のために尽くすのは、実にたやすい。愚かな男女にもできないことはない。この道を行えば、学ばずして仁も義も忠も孝も、神の道も聖人の道も一挙に行われる。きわめて行いやすい道だ。だから中庸というのだ。私は人に教えるとき、『わが道は分限を守ることを本とし、分限の内を譲ることを仁とする』と教える。これこそ中庸であり、行いやすい道ではないか」。
解説
この章句が説くこと
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「楊子は我が為にするを取る。一毛を抜きて天下を利するも、為さざるなり。墨子は兼愛す。頂を摩し踵に放るも、天下を利するは之を為す。子莫は中を執る。中を執るは之に近しと為すも、中を執りて權すること無ければ、猶ほ一を執るなり。一を執るに惡む所の者は、其の、道を賊うが為なり。一を舉げて百を廢すればなり。」
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論語・先進篇子貢問う、「師と商とは孰れか賢れる。」子曰く、「師や過ぎたり、商や及ばず。」曰く、「然らば則ち師愈れるか。」子曰く、「過ぎたるは猶お及ばざるがごとし。」
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