二宮翁夜話 / 巻之一
翁常に曰く、人界に居て家根のもるを坐視し、道路の破損を傍観し、橋の朽たるをも憂へざる者は、則ち人道の罪人なり。
書き下し
翁(おきな)常に曰(いわ)く、人界(じんかい)に居て家根(やね)のもるを坐視(ざし)し、道路の破損を傍観し、橋の朽(く)ちたるをも憂(うれ)へざる者は、則(すなわ)ち人道の罪人なり。
現代語訳
翁が常づね言われた。人の世に生きていながら、屋根が漏るのを黙って見過ごし、道路の破損を傍観し、橋が朽ちているのを憂えもしない者は、すなわち人道の罪人である。
解説
わずか一文の、しかし峻烈な一条です。屋根の雨漏り、道路の破損、朽ちた橋――こうした身の回りの傷みを見て見ぬふりする者を、尊徳は「人道の罪人」とまで断じます。前条までで説かれたとおり、人道は放っておけば廃れるもので、堤を築き橋を架け替える不断の手入れによってのみ保たれます。だからこそ、傷みを坐視することは単なる怠慢ではなく、人の道に対する罪だというのです。積極的に悪をなさなくても、なすべき手入れを怠ること自体が罪だとする厳しさに、報徳の実践思想が凝縮されています。公共のもの、共同体の維持に対する当事者意識を問うこの言葉は、インフラの老朽化や社会の担い手不足が課題となる現代にこそ、鋭く響きます。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳人道当事者意識勤労公共
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