牧民忠告 / 聽訟
民之有訟,如己有訟;民之流亡,如己流亡;民在縲紲,如己在縲紲;民陷水火,如己陷水火。凡民疾苦,皆如己疾苦也,雖欲因仍,可得乎?
新字:民之有訟,如己有訟;民之流亡,如己流亡;民在縲紲,如己在縲紲;民陥水火,如己陥水火。凡民疾苦,皆如己疾苦也,雖欲因仍,可得乎?
書き下し
民の訟(うった)え有るは、己(おのれ)の訟え有るがごとし。民の流亡(りゅうぼう)するは、己の流亡するがごとし。民の縲紲(るいせつ)に在るは、己の縲紲に在るがごとし。民の水火に陥るは、己の水火に陥るがごとし。凡そ民の疾苦(しっく)は、皆己の疾苦のごときなり。因仍(いんじょう)せんと欲すと雖(いえど)も、得可(うべ)けんや。
現代語訳
民に訴訟があれば、それは自分に訴訟があるのと同じことだ。民が流浪すれば、それは自分が流浪するのと同じことだ。民が縄目にかかっていれば、それは自分が縄目にかかっているのと同じことだ。民が水火の災いに陥れば、それは自分が水火の災いに陥るのと同じことだ。およそ民の苦しみは、すべて自分自身の苦しみなのである。たとえ怠けて前例のままにやり過ごそうとしても、そんなことができるだろうか、いや、できはしない。
解説
本条は牧民官の心構えの核心を、当事者意識の徹底として説く。民の訴訟・流浪・拘束・災難を、他人事ではなく自分自身の身に起きたことのように捉えよという要求は、単なる同情ではなく、統治者としての責任の当事者化である。末尾の「因仍せんと欲すと雖も、可得んや」は、そうした当事者意識を持てば旧例踏襲や現状維持に安住することなど到底できないという強い戒めである。現代の管理職にとっても、部下や顧客の困難を統計上の数字や他人の問題として処理するのではなく、自分自身の問題として受け止める姿勢こそが、形式的な対応を超えた真の改善行動を生み出す原動力となる。
この章句が説くこと
民病如己病当事者意識共感責任