忍経 / 同居相處貴寬
同居之人有不賢者,非理以相擾,若間或一再,尚可與辯;至於百無一是,且朝夕以此相臨,極為難處。同鄉及同官,亦或有此,當寬其懷抱,以無可奈何處之。
新字:同居之人有不賢者,非理以相擾,若間或一再,尚可与弁;至於百無一是,且朝夕以此相臨,極為難処。同郷及同官,亦或有此,当寛其懐抱,以無可奈何処之。
書き下し
同居の人に不賢なる者有り、非理を以て相擾す。若し間或いは一再ならば、尚ほ與に辯ずべし。百に一の是無く、且つ朝夕此を以て相臨むに至りては、極めて處し難しと為す。同鄉及び同官にも、亦或いは此れ有り。當に其の懷抱を寬くし、無可奈何を以て之に處すべし。
現代語訳
同じ家に住む人の中に賢くない者がいて、道理に合わないことでこちらを悩ませることがあります。たまに一、二度のことなら、まだ話し合う余地があります。しかし百のうち一つも正しいところがなく、しかも朝夕そのようにして向かってくるとなると、きわめて扱いにくいものです。同郷の人や同じ役所の同僚の中にも、ときにこういう人がいます。そういうときは胸の内を広く持ち、どうしようもないものとして付き合うべきです。
解説
同じ屋根の下や同じ職場にいる、話の通じない相手との付き合い方を説いています。一度や二度なら話し合えばよい、しかし毎日理不尽を繰り返す相手には、説得をあきらめ、どうしようもないものとして心を広く保て、というのが袁采の答えです。これは相手を変えることにこだわるほど、自分がすり減るという実感から来ています。相手を変えられないなら、自分の受け止め方を変えるしかないのです。ただし今日の職場で、嫌がらせや不当な扱いが毎日続くなら、それは心の持ち方で済ませる問題ではありません。まず記録し、相談できる人や窓口につなぐことも、自分を守る大切な手段です。
この章句が説くこと
寛容同居職場忍処世
関連する章句
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『忍経』處家貴寬容古より人倫は賢否相雜る。或いは父子皆な賢なる能はず、或いは兄弟皆な令なる能はず、或いは夫流蕩し、或いは妻悍暴なり。一家の中に此の患無き者は少し。聖賢と雖も亦之を如何ともする無し。譬へば身に瘡痍疣贅有るが如し。甚だ惡むべしと雖も、決し去るべからず。唯だ當に寬懷もて之に處すべし。若し人能く此の理を知らば、則ち胸中泰然たらん。古人の所謂父子兄弟夫婦の間、人の言ひ難き所の者は、此くの如し。
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『忍経』謝罪敦睦・善く忍に處する者『袁氏世範』に曰く、人言ふ、家に居りて久しく和する者は、能く忍ぶに本づく、と。然れども忍を知りて忍に處するの道を知らざれば、其の失尤も多し。蓋し忍は或いは藏蓄の意有り。人の我を犯すを藏蓄して發するは、一再に過ぎざるのみ。之を積むこと逾いよ多ければ、其の發するや洪流の決するが如く、遏むべからず。隨ひて之を解き、胸次に置かざるに若かず。曰く此れ其の思はざるのみ、曰く此れ其の無知なるのみ、曰く此れ其の失誤なるのみ、曰く此れ其の見る所の者小なるのみ、曰く此れ其の利害寧ぞ幾何ぞ、と。之をして吾が心に人らしめざれば、日に我を犯す者十數なりと雖も、亦言に形れて色に見るるに至らず。然る後に忍の功效の甚だ大なるを見る。此れ所謂善く忍に處する者なり。
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『忍経』待卑僕當寬恕奴僕小人の人に役に就く者は、天資多く愚なり。且く寬を以て之に處し、其の教誨を多くし、其の瞋怒を省きて可なり。
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『忍経』親戚不可失歡骨肉の歡を失ふは、至微に本づきて、終に解くべからざるに至る者有り。能く先づ氣を下す有らば、則ち彼此酬復して遂に平時に好からん。宜しく深く之を思ふべし。
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『忍経』非毀反己韓魏公謂ふ、「小人は遠きに求むべからず、三家の村中にも亦た一家有り。當に之に處するの理を求むべし。其の小人爲るを知らば、以て之を小とし之に處す。更に接すべからず。如し之に接せば、則ち自ら小人ならん。人の非毀有らば、但だ當に己の是か不是かに反るべし。己是ならば、則ち是は我に在りて罪は彼に有り、烏んぞ其の如何を計るを用ひん」と。