忍経 / 謝罪敦睦・善く忍に處する者
《袁氏世範》曰:人言居家久和者,本於能忍。然知忍而不知處忍之道,其失尤多。蓋忍或有藏蓄之意,人之犯我藏蓄而發,不過一再而已。積之逾多,其發也如洪流之決,不可遏矣。不若隨而解之,不置胸次,曰此其不思爾,曰此其無知爾,曰此其失誤爾,曰此其所見者小耳,曰此其利害寧幾何?不使之人於吾心,雖日犯我者十數,亦不至形於言而見於色,然後見忍之功效為甚大,此所謂善處忍者。
新字:《袁氏世範》曰:人言居家久和者,本於能忍。然知忍而不知処忍之道,其失尤多。蓋忍或有蔵蓄之意,人之犯我蔵蓄而発,不過一再而已。積之逾多,其発也如洪流之決,不可遏矣。不若随而解之,不置胸次,曰此其不思爾,曰此其無知爾,曰此其失誤爾,曰此其所見者小耳,曰此其利害寧幾何?不使之人於吾心,雖日犯我者十数,亦不至形於言而見於色,然後見忍之功効為甚大,此所謂善処忍者。
書き下し
『袁氏世範』に曰く、人言ふ、家に居りて久しく和する者は、能く忍ぶに本づく、と。然れども忍を知りて忍に處するの道を知らざれば、其の失尤も多し。蓋し忍は或いは藏蓄の意有り。人の我を犯すを藏蓄して發するは、一再に過ぎざるのみ。之を積むこと逾いよ多ければ、其の發するや洪流の決するが如く、遏むべからず。隨ひて之を解き、胸次に置かざるに若かず。曰く此れ其の思はざるのみ、曰く此れ其の無知なるのみ、曰く此れ其の失誤なるのみ、曰く此れ其の見る所の者小なるのみ、曰く此れ其の利害寧ぞ幾何ぞ、と。之をして吾が心に人らしめざれば、日に我を犯す者十數なりと雖も、亦言に形れて色に見るるに至らず。然る後に忍の功效の甚だ大なるを見る。此れ所謂善く忍に處する者なり。
現代語訳
『袁氏世範』(南宋の袁采の家訓)には次のようにあります。人は、家で長く仲良く暮らせるのは、よく忍ぶことに基づくと言います。しかし、忍ぶことは知っていても、忍ぶことへの処し方を知らなければ、かえって失うものがとても多いのです。というのも、忍には、ときにため込むという意味合いがあるからです。人に傷つけられたことをため込んでおいて我慢できるのは、せいぜい一、二度にすぎません。ため込むほど多くなれば、それが噴き出すときは大水が堤を切るようで、止めることができません。そのつど解きほぐして、胸の内に置かないほうがよいのです。「これはあの人が考えなかっただけだ」「これはあの人が知らなかっただけだ」「これはあの人のうっかりだ」「これはあの人の見ている範囲が小さいだけだ」「これはどれほどの損得でもない」と。こうして自分の心の中に入れないようにすれば、一日に十数回傷つけられても、言葉に出したり顔色に表したりするまでには至りません。そうしてはじめて、忍の効き目がとても大きいことが分かります。これがいわゆる、忍にうまく処する者です。
解説

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