忍経 / 謝罪敦睦・若し他に答へなば却つて他と一等
《師友雜記》云:「或問滎陽公,為小言所罟罵,當何以處之。公曰:『上焉者,知人與己本一,何者為罟,何者為辱,自然無憤怒心。下焉者,且自思曰:『我是何等人,彼為何等人,若是答他,卻與他一等也。以此自比,憤心自消也。』」 唐充之云:「前輩說後生不能忍垢,不足為人,聞人密論不能容受,而輕泄之,不足以為人。」
新字:《師友雑記》云:「或問滎陽公,為小言所罟罵,当何以処之。公曰:『上焉者,知人与己本一,何者為罟,何者為辱,自然無憤怒心。下焉者,且自思曰:『我是何等人,彼為何等人,若是答他,却与他一等也。以此自比,憤心自消也。』」 唐充之云:「前輩説後生不能忍垢,不足為人,聞人密論不能容受,而軽泄之,不足以為人。」
書き下し
『師友雜記』に云ふ「或ひと滎陽公に問ふ、小言の罟罵する所と為らば、當に何を以て之に處すべき、と。公曰く『上なる者は、人と己と本一なるを知る。何者をか罟と為し、何者をか辱と為さん。自然に憤怒の心無し。下なる者は、且く自ら思ひて曰へ『我は是れ何等の人ぞ、彼は何等の人たるか。若し是れ他に答へなば、卻つて他と一等なり』と。此を以て自ら比ぶれば、憤心自ら消ゆるなり』」と。 唐充之云ふ「前輩說く、後生の垢を忍ぶ能はざるは、人と為るに足らず。人の密論を聞きて容受する能はずして、輕しく之を泄らすは、以て人と為るに足らず」と。
現代語訳
『師友雑記』には次のようにあります。「ある人が滎陽公(北宋の呂希哲)に、つまらない者にののしられたときは、どう対処すべきかと尋ねた。公は言った。『上等の人は、他人と自分とがもともと一つであることを知っているので、何がののしりで何が恥辱だというのか、自然と怒りの心が起きない。下等の人は、ひとまず自分でこう考えてみなさい。〈自分はどういう人間で、あの人はどういう人間か。もしあの人に言い返したら、かえってあの人と同じ程度になってしまう〉と。こうして自分と比べてみれば、怒りの心は自然に消えるものだ』」。 唐充之は言いました。「先輩はこう説いた。若い者が恥辱を忍べないようでは、一人前の人間とは言えない。人の内密の話を聞いて胸にしまっておけず、軽々しく漏らすようでは、一人前の人間とは言えない」。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
孫子・始計篇此れ兵家の勝なり。先づ伝うべからざるなり。
-
『韓非子』亡徵第十五漏泄して蔵すること無く、周密なること能はずして群臣の語を通ずる者は、亡ぶべきなり。
-
『呻吟語』内篇・修身・枕席の言は四海に通ず枕席の言、房闥の行は、四海に通ず。牆卑く室淺き者は論ずる無く、即ち宮禁の深嚴なるも、言ひて知られず、動きて聞かれざる者有る無し。士君子名節を愛せずんば則ち已む。如し一毫も自ら好むの心有らば、幽獨盲動慎まざる可けんや。
-
『呻吟語』内篇・應務・人を戒むると己を戒むると孰れか難き余少き時曾て當に密なるべきの語を泄らす。先君之を責む。對へて曰く、「已に聞く者を戒めて泄らす勿からしめたり」と。先君曰く、「子は子の口を必する能はずして、能く人の口を必するか。且つ人を戒むると己を戒むると孰れか難き。小子之を慎め」と。
-
自警録・第五章 心強くなる工夫・弱点の自覚より起こる気弱(1)自分の弱点を自覚するために怖気ることがある。これは世間に多く見ることで、笑われはせぬか、憎まれはせぬか、嘲られはせぬかと、つねに心に憂うるゆえに、かかる虞ある場所には成るべく欠席せんとする考えが起こる。そうでなくてさえ、人にはいかなる人にても、秘密はあるものである。もっとも秘密だからといって、決して悪いものとは限らぬ。何らの秘密なしと称する人こそ怪しむべきである。何人も隠すべきものをもっている。秘密といえば何か悪事するごとく思い疑わんが、決してそうでない。 処女の羞かしがるは何が一番甚だしきかというに、自分の体にありて、親にも示すべからざるものあるがためである。これは秘密にすべきものではあるが、善悪の標準をもって論ずる限りではない。いな解剖上よりいえば、婦人が婦人としての身体を有せぬが恥ずべきことである。ゆえに各人が秘密を有すればとて決して怪しむに足らぬ当然なことである。この秘密を発見せられはせぬかという観念が人をして怖気させるのである。 京都の人は、「晴がましい」という言葉を使う、すなわち東京のいわゆる、「きまりが悪い」の意で、目立つ所に立ち、多数の環視のもとに出ることを晴がましいといって引込むが、これは何か秘密とすることを発見されはせぬかというに起こる。しかしてこの秘すべきことに、何らかの弱点があれば、この念がいっそう深くなる。
-
『春秋左氏伝』襄公二十八年 慶氏打倒の謀議御者之を知り、則ち其の肉を去りて、其の洎(しる)を以て饋る。子雅・子尾怒る。慶封、盧蒲嫳に告ぐ。盧蒲嫳曰く、「之を禽獸に譬ふれば、吾其の皮に寢處せん」と。析歸父をして晏平仲に告げしむ。平仲曰く、「嬰の衆は用ゐるに足らず、知は能く謀る無し。言は敢へて出ださず。盟有るも可なり」と。子家曰く、「子の言云へり、又焉んぞ盟を用ゐん」と。北郭子車に告ぐ。子車曰く、「人各々以て君に事ふる有り、佐の能くする所に非ざるなり」と。陳文子、桓子に謂ひて曰く、「禍將に作らんとす。吾其れ何をか得ん」と。對へて曰く、「慶氏の木百車を莊に得ん」と。文子曰く、「慎みて守るべきのみ」と。盧蒲癸・王何、慶氏を攻めんことを卜し、子之に兆を示して曰く、「或ひと讎を攻めんことを卜す。敢へて其の兆を獻ず」と。子之曰く、「克たん。血を見ん」と。