忍経 / 謝罪敦睦・忍の一字は衆妙の門
《韓魏公語錄》曰:「欲成大節,不免小忍。」 《和靖語錄》:「人有憤爭者,和靖尹公曰:『莫大之禍,起於須臾不忍,不可不謹。』」 省心子曰:「屈子者能處眾。」 《童蒙訓》:「當官以忍為先,忍字一字,眾妙之門,當官處事,尤是先務。若能清勤之外,更行一忍,何事不辦?」
新字:《韓魏公語録》曰:「欲成大節,不免小忍。」 《和靖語録》:「人有憤争者,和靖尹公曰:『莫大之禍,起於須臾不忍,不可不謹。』」 省心子曰:「屈子者能処衆。」 《童蒙訓》:「当官以忍為先,忍字一字,衆妙之門,当官処事,尤是先務。若能清勤之外,更行一忍,何事不辦?」
書き下し
『韓魏公語錄』に曰く「大節を成さんと欲すれば、小忍を免れず」と。 『和靖語錄』に「人の憤爭する者有り。和靖尹公曰く『莫大の禍は、須臾の忍ばざるに起る。謹まざるべからず』と」。 省心子曰く「子を屈する者は能く衆に處る」と。 『童蒙訓』に「官に當りては忍を以て先と為す。忍の字の一字は、衆妙の門なり。官に當りて事を處するに、尤も是れ先務なり。若し能く清勤の外に、更に一忍を行はば、何事か辦ぜざらん」と。
現代語訳
『韓魏公語録』には「大きな節義を成し遂げようとするなら、小さな忍耐は避けられない」とあります。 『和靖語録』には「怒って争う人がいた。和靖尹公(北宋の尹焞)は言った。『この上ない災いは、ほんの一瞬忍べないことから起こる。慎まなければならない』」とあります。 省心子は言いました。「自分を低くできる者は、多くの人の中でうまくやっていける」。 『童蒙訓』には「官職にあっては、忍を第一とする。忍という一字は、あらゆる妙理の入口である。官にあって事を処理するうえで、とりわけ最優先の務めだ。もし清廉と勤勉に加えて、さらに一つ忍を行えば、どんな事でも成し遂げられないことがあろうか」とあります。
解説
忍を説いた短い格言を四つ集めた一章です。韓琦の「大節を成すには小忍を免れず」は、大きな志を持つ人ほど、小さな我慢の場面を避けて通れないことを言います。尹焞の言葉は、大きな災いはほんの一瞬の我慢のなさから始まると戒めます。省心子の言葉は、自分を低くできる人が集団の中でうまくやれるということです。そして『童蒙訓』は、忍の一字を老子の言葉を借りて「衆妙の門」と呼び、清廉と勤勉に忍を加えれば何でもできると言い切ります。能力や誠実さだけでは仕事は回らない、という役人の実感がこもっています。
この章句が説くこと
忍大節衆妙処世童蒙訓
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