忍経 / 自擇所安
張文定公齊賢,以右拾遺為江南轉運使。一日家宴,一奴竊銀器數事於懷中,文定自簾下熟視不問爾。後文定晚年為宰相,門下廝役往往侍班行,而此奴竟不沾祿。奴隸間再拜而告曰:「某事相公最久,凡後於某者皆得官矣。相公獨遺某,何也?」因泣下不止。文定憫然語曰:「我欲不言,爾乃怨我。爾憶江南日盜吾銀器數事乎?我懷之三十年不以告人,雖爾亦不知也。吾備位宰相,進退百官,志在激濁揚清,敢以盜賊薦耶?念汝事吾日久,今予汝錢三百千,汝其去吾門下,自擇所安。蓋吾既發汝平昔之事,汝其有愧於吾而不可復留也。」奴震駭,泣拜而去。
新字:張文定公斉賢,以右拾遺為江南転運使。一日家宴,一奴窃銀器数事於懐中,文定自簾下熟視不問爾。後文定晩年為宰相,門下廝役往往侍班行,而此奴竟不沾禄。奴隸間再拝而告曰:「某事相公最久,凡後於某者皆得官矣。相公独遺某,何也?」因泣下不止。文定憫然語曰:「我欲不言,爾乃怨我。爾憶江南日盗吾銀器数事乎?我懐之三十年不以告人,雖爾亦不知也。吾備位宰相,進退百官,志在激濁揚清,敢以盗賊薦耶?念汝事吾日久,今予汝銭三百千,汝其去吾門下,自択所安。蓋吾既発汝平昔之事,汝其有愧於吾而不可復留也。」奴震駭,泣拝而去。
書き下し
張文定公齊賢、右拾遺を以て江南轉運使と為る。一日家宴するに、一奴銀器數事を懷中に竊む。文定簾下より熟視して問はざるのみ。後に文定晚年に宰相と為り、門下の廝役往往にして班行に侍するも、此の奴は竟に祿に沾はず。奴隸間に再拜して告げて曰く「某相公に事ふること最も久し。凡そ某に後るる者も皆な官を得たり。相公獨り某を遺るるは、何ぞや」と。因りて泣下りて止まず。文定憫然として語りて曰く「我言はざらんと欲するに、爾乃ち我を怨む。爾江南の日に吾が銀器數事を盜みしを憶ゆるか。我之を懷くこと三十年、以て人に告げず。爾と雖も亦知らざるなり。吾宰相に備位し、百官を進退す。志は濁を激し清を揚ぐるに在り。敢へて盜賊を以て薦めんや。汝の吾に事ふること日久しきを念ひ、今汝に錢三百千を予ふ。汝其れ吾が門下を去り、自ら安んずる所を擇べ。蓋し吾既に汝の平昔の事を發けば、汝其れ吾に愧づる有りて復た留まるべからざればなり」と。奴震駭し、泣拜して去る。
現代語訳
張文定公斉賢(北宋の宰相、張斉賢)は、右拾遺の身で江南転運使となりました。ある日、家で宴を開いたとき、一人の召使いが銀の器をいくつか懐に盗み入れました。文定は簾の陰からじっと見ていましたが、何も問いただしませんでした。のちに文定が晩年に宰相となると、門下の下働きの者たちも次々と官職を得ましたが、この召使いだけはついに俸禄にあずかれませんでした。召使いは折を見て再拝し、訴えて言いました。「私は相公に最も長くお仕えしてきました。私より後に来た者もみな官職を得ています。相公が私だけをお見捨てになるのはなぜですか」。そう言って涙が止まりませんでした。文定は哀れんで言いました。「私は言わずにおこうと思っていたのに、おまえは私を恨むのか。江南にいたころ、おまえが私の銀の器をいくつか盗んだのを覚えているか。私はそれを三十年胸にしまって人に告げず、おまえ自身も私が知っているとは知らなかった。私は宰相の位にあって百官の登用と罷免をつかさどり、濁りを退け清らかさを挙げることを志としている。どうして盗みを働いた者を推薦できようか。だが、おまえが長く仕えてくれたことを思い、今、銭三百千を与えよう。私の門下を去って、自分の落ち着ける所を選びなさい。私がおまえの昔のことを明かしてしまった以上、おまえは私に対して恥ずかしく、もうここにはいられないだろうから」。召使いは震えおののき、泣いて拝礼して去りました。
解説
この章句が説くこと
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『忍経』得金不認張知常上庠に在りし日、家金十兩を以て公に附致す。同舍生公の出づるに因りて、篋を發きて之を取る。學官同舍を集めて檢索し、因りて其の金を得たり。公認めずして、曰く「吾が金に非ざるなり」と。同舍生袖にして以て公に還すに至る。公其の貧しきを知り、半を以て之に遺る。前輩謂ふ、公の人に遣るに金を以てするは、人の能くする所なり。倉卒に金を得て認めざるは、人の能はざる所なり、と。
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『忍経』不發人過王文正太尉は局量寬厚にして、未だ嘗て其の怒るを見ず。飲食に精潔ならざる者有れば、食はざるのみ。家人其の量を試みんと欲し、少しの埃墨を以て羹中に投ず。公唯だ飯を淡ふのみ。其の何を以て羹を食はざるかを問ふに、曰く「我偶ま肉を喜ばず」と。一日又其の飯に墨す。公之を視て、曰く「吾今日飯を喜ばず、粥を具ふべし」と。其の子弟公に訴へて曰く「庖肉は餐人の私に食ふ所と為り、肉飽かず。乞ふ之を治めよ」と。公曰く「汝が輩、人ごとの料肉は幾何ぞ」と。曰く「一斤。今但だ半斤を得て食ふのみ、其の半は饔人の瘦す所と為る」と。公「一斤を盡さば飽くことを得べきか」と。曰く「一斤を盡さば固より當に飽くべし」と。曰く「此の後は人ごとに料一斤半にして可なり」と。其の過を發かざること皆此に類す。嘗て宅門壞れ、主者屋を撤して之を新たにし、暫く廊廡の下に一門を啟きて以て出入す。公側門に至るに、門低し。鞍に據りて俯伏して過ぎ、都て門を問はず。畢りて復た正門を行くも、亦問はず。馬を控ふる卒有り、歲滿ちて公に辭す。公問ふ「汝馬を控ふること幾年ぞ」と。曰く「五年なり」と。公曰く「吾汝有るを省せず」と。既に去るに、復た呼び回して、曰く「汝は乃ち某大人か」と。是に於て厚く之に贈る。乃ち是れ逐日馬を控ふるも、但だ背を見るのみにて、未だ嘗て其の面を視ず、去るに因りて其の面を見て方に省みしなり。
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