忍経 / 眾服公量
彭公思永,始就舉時,貧無餘資,唯持金釧數隻棲於旅舍。同舉者過之,眾請出釧為玩。客有墜其一於袖間,公視之不言,眾莫知也,皆驚求之。公曰:「數止此,非有失也。」將去,袖釧者揖而舉手,釧墜於地,眾服公之量。
新字:彭公思永,始就舉時,貧無余資,唯持金釧数隻棲於旅舎。同舉者過之,衆請出釧為玩。客有墜其一於袖間,公視之不言,衆莫知也,皆驚求之。公曰:「数止此,非有失也。」将去,袖釧者揖而舉手,釧墜於地,衆服公之量。
書き下し
彭公思永、始め舉に就く時、貧しくして餘資無く、唯だ金釧數隻を持して旅舍に棲む。同舉の者之に過る。衆請ひて釧を出して玩と爲す。客に其の一を袖間に墜す有り。公之を視て言はず。衆知る莫し。皆な驚きて之を求む。公曰く、「數は此に止まる、失ふこと有るに非ざるなり」と。將に去らんとするに、釧を袖にせし者揖して手を舉ぐ。釧地に墜つ。衆公の量に服す。
現代語訳
彭思永(北宋の人)がはじめて科挙を受けに行ったとき、貧しくて蓄えもなく、ただ金の腕輪を数個持って宿屋に泊まっていました。同じく受験する者たちが訪ねて来て、皆で腕輪を出して見せてほしいと頼みました。客の一人が、そのうちの一つを袖の中に落とし入れました。彭思永はそれを見ていましたが何も言わず、ほかの者は誰も気づきませんでした。皆が驚いて腕輪を探し始めると、彭思永は「数はこれだけです。なくなったのではありません」と言いました。客たちが帰ろうとしたとき、腕輪を袖に入れた者が会釈して手を挙げると、腕輪が地面に落ちました。皆は彭思永の度量に感服しました。
解説
北宋の彭思永が若いころ、科挙の受験に出てきたときの逸話です。貧しい彭思永にとって、金の腕輪は大切な旅の資金だったはずです。それを仲間の一人が袖に隠すのを見ながら、彭思永は黙っていました。皆が騒ぎ始めると、もともとこの数だったと言って、盗んだ者をかばったのです。結局は腕輪が袖から落ちて事は露見しましたが、彭思永が相手の恥を避けようとした心は皆に伝わりました。人の不正を見つけたとき、その場で暴けば正しさは示せても、相手を追い詰めることになります。事を荒立てずに相手が引き返す余地を作ることも、一つの知恵です。ただし、組織で見逃してはならない不正には、別の手立てが必要でしょう。
この章句が説くこと
忍度量彭思永盗み恕
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