忍経 / 終不自辯
蔡襄嘗飲會靈東園,坐客有射矢誤中傷人者,客劇指為公矢,京師喧然。事既聞,上以問公,公再拜,愧謝終不自辯,退以未嘗以語人。
新字:蔡襄嘗飲会霊東園,坐客有射矢誤中傷人者,客劇指為公矢,京師喧然。事既聞,上以問公,公再拝,愧謝終不自弁,退以未嘗以語人。
書き下し
蔡襄嘗て會靈東園に飲す。坐客に矢を射て誤りて人に中て傷つくる者有り。客劇かに指して公の矢と為し、京師喧然たり。事既に聞えて、上以て公に問ふ。公再拜して、愧謝し終に自ら辯ぜず。退きて以て未だ嘗て以て人に語らず。
現代語訳
蔡襄(北宋の書家・政治家)は、あるとき会霊観の東園で酒宴に出ていました。同席の客の中に、矢を射て誤って人に当て、けがをさせた者がいました。その客はとっさに蔡公の矢だと指さし、都じゅうが大騒ぎになりました。事が皇帝の耳に入り、皇帝が公に問いただしました。公は再拝して恥じ入り、詫びるばかりで、最後まで弁明しませんでした。退出してからも、一度もこのことを人に話しませんでした。
解説
濡れ衣を着せられても弁明しなかった蔡襄の話です。本当は同席の客が射た矢でしたが、その客はとっさに蔡襄のせいにしました。蔡襄は皇帝の前でも詫びるだけで、あとで人に真相を話すこともしませんでした。弁明すれば相手を名指しで責めることになり、宴の場の過ちが一人の破滅に広がりかねなかったからでしょう。ここにも、自分の名誉より事を大きくしないことを選ぶ忍が見えます。とはいえ、今日これを、いつでも黙って罪をかぶるべきだと読む必要はありません。黙ることで何を守るのか、自分で見極めたうえでの選択だという点が肝心です。
この章句が説くこと
忍弁明濡れ衣度量蔡襄
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