忍経 / 所持一心
王公存極寬厚,儀狀偉然。平居恂恂,不為詭激之行。至有所守,確不可奪。議論平恕,無所向背,司馬溫公嘗曰:「併馳萬馬中能駐足者,其王存乎?」自束髮起家,以至大耋,歷事五世而所持一心,屢更變故,而其守如一。
新字:王公存極寛厚,儀状偉然。平居恂恂,不為詭激之行。至有所守,確不可奪。議論平恕,無所向背,司馬温公嘗曰:「併馳万馬中能駐足者,其王存乎?」自束髪起家,以至大耋,歴事五世而所持一心,屡更変故,而其守如一。
書き下し
王公存は極めて寬厚にして、儀狀偉然たり。平居恂恂として、詭激の行ひを為さず。守る所有るに至りては、確として奪ふべからず。議論平恕にして、向背する所無し。司馬溫公嘗て曰く「併馳する萬馬の中に能く足を駐むる者は、其れ王存か」と。束髮より家を起し、以て大耋に至るまで、五世に歷事して持する所一心なり。屢しば變故を更るも、其の守ること一の如し。
現代語訳
王公存(北宋の王存)はきわめて寛大で温厚、容姿は堂々としていました。ふだんは慎み深く穏やかで、奇をてらった過激な振る舞いをしませんでした。しかし守るべきことについては、断固として譲りませんでした。議論は公平で思いやりがあり、誰かにおもねったり背を向けたりすることがありませんでした。司馬温公(司馬光)はかつて「万頭の馬が一斉に駆ける中で、立ち止まることのできる者は、王存であろう」と言いました。若くして身を起こしてから高齢に至るまで、五代の皇帝に仕えて心は一つでした。何度も政変を経ても、その守るところは変わりませんでした。
解説
穏やかさと芯の強さを兼ね備えた王存の人物評です。ふだんは温厚で目立つことをしないのに、守るべき一線では決して譲りませんでした。司馬光の「万馬が駆ける中で足を止められる者」という評は見事で、周りが一斉に同じ方向へ流れるときに、立ち止まれる人だということです。新法と旧法が激しく争った時代に、五代の皇帝に仕えて姿勢を変えなかったのは、並大抵のことではありません。寛容であることと、流されないことは矛盾しません。むしろ相手に寛大であれる人ほど、自分の軸を持っているものです。空気に合わせる前に、一度足を止めてみる勇気をくれる一条です。
この章句が説くこと
忍寛容節操一貫王存
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻十一・王存公平居恂恂として詭激の行を爲さず。守る所有るに至りては、確として奪う可からず。議論は平恕にして向背する所無し。温公嘗て曰く、萬馬並び馳するの中、能く足を駐むる者は其れ王存か、と。
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