忍経 / 與物無競
陳忠肅公瓘,性謙和,與物無競。與人議論,率多取人之長,雖見其短,未嘗面折,唯微示意以警之。人多退省愧服。尤好獎後進,後輩一言一行,苟有可取,即譽美傳揚,謂己不能。
新字:陳忠粛公瓘,性謙和,与物無競。与人議論,率多取人之長,雖見其短,未嘗面折,唯微示意以警之。人多退省愧服。尤好獎後進,後輩一言一行,苟有可取,即誉美伝揚,謂己不能。
書き下し
陳忠肅公瓘は、性謙和にして、物と競ふこと無し。人と議論するに、率ね多く人の長を取り、其の短を見ると雖も、未だ嘗て面折せず、唯だ微かに意を示して以て之を警む。人多く退きて省み愧ぢ服す。尤も後進を獎むるを好み、後輩の一言一行、苟も取るべき有れば、即ち譽美傳揚して、己は能はずと謂ふ。
現代語訳
陳忠粛公瓘(北宋の陳瓘)は、性格が謙虚で穏やかで、人と張り合うことがありませんでした。人と議論するときは、たいてい相手の長所を多く取り上げ、短所に気づいても面と向かってやり込めることはなく、ただそれとなく意を示して注意を促すだけでした。人々の多くは、退いてから自ら省みて恥じ入り、心服しました。とりわけ後進を励ますことを好み、後輩の一言一行に少しでも取るべきところがあれば、すぐに褒めて広め、自分にはとてもできないと言いました。
解説
議論の場での謙虚さと、後輩を育てる姿勢を描いた一条です。陳瓘は相手の短所に気づいても人前で論破せず、それとなく示すだけにとどめました。すると相手は後で自分から省みて、かえって心服したといいます。面と向かって正すと、人は恥をかかされた怒りのほうを覚えてしまうからでしょう。また、後輩のよい言動を見つけると広めて回り、自分にはできないとまで言いました。競わないことは、張り合う力がないことではなく、相手の成長を先に置く選択です。部下や後輩の指導で、指摘の仕方ひとつで結果が変わることを思い出させてくれます。
この章句が説くこと
謙虚恕指導後進陳瓘
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