忍経 / 公誠有德
滎陽呂公希哲,熙寧初監陳留稅,章樞密諮方知縣事,心甚重公。一日與公同坐,劇峻辭色,折公以事。公不為動,章歎曰:「公誠有德者,我聊試公耳。」
新字:滎陽呂公希哲,熙寧初監陳留税,章枢密諮方知県事,心甚重公。一日与公同坐,劇峻辞色,折公以事。公不為動,章嘆曰:「公誠有徳者,我聊試公耳。」
書き下し
滎陽の呂公希哲、熙寧の初め陳留の稅を監す。章樞密諮方に縣事を知し、心に甚だ公を重んず。一日公と同坐し、劇かに辭色を峻しくし、公を折くに事を以てす。公為に動かず。章歎じて曰く「公は誠に德有る者なり。我聊か公を試みしのみ」と。
現代語訳
滎陽の呂公希哲(北宋の呂希哲)は、熙寧年間のはじめ、陳留で税の監督をしていました。章枢密諮(のちに枢密院の官となる章氏)がちょうどその県の知事をしていて、心中では公をたいへん重んじていました。ある日、公と同席した際、急に言葉と顔色を険しくして、ある事柄を持ち出して公をやり込めました。公はそれでも動じませんでした。章は感嘆して「あなたはまことに徳のある人だ。私はちょっとあなたを試してみただけです」と言いました。
解説
理不尽にやり込められても動じなかった呂希哲の話です。上役の章がわざと険しい顔で責め立てたのは、人物を試すためでした。呂希哲は言い返しも取り乱しもせず、章はそこに徳を見ました。人の器は、順調なときより、不意に責められたときの反応に現れます。とはいえ、今日の職場でこうした試し方をすることは勧められません。部下を試すために怒ってみせるのは、相手を萎縮させるだけだからです。読み取るべきは呂希哲の側の落ち着きで、急に強く出られたときこそ、まず一呼吸おいて事実だけを見る姿勢です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
忍平静徳試練呂希哲
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