忍経 / 子孫數世同居
溫公曰:「國家公卿能導先法久而不衰者,唯故李相昉家,子孫數世至二百餘口,猶同居共爨,田園邸舍所收及有官者俸祿,皆聚之一庫,計口日給餉。婚姻喪葬,所費皆有常數,分命子弟掌其事。」
新字:温公曰:「国家公卿能導先法久而不衰者,唯故李相昉家,子孫数世至二百余口,猶同居共爨,田園邸舎所収及有官者俸禄,皆聚之一庫,計口日給餉。婚姻喪葬,所費皆有常数,分命子弟掌其事。」
書き下し
溫公曰く「國家の公卿の能く先法を導きて久しくして衰へざる者は、唯だ故の李相昉の家のみ。子孫數世にして二百餘口に至るも、猶ほ同居して爨を共にし、田園邸舍の收むる所及び官有る者の俸祿は、皆な之を一庫に聚め、口を計りて日に餉を給す。婚姻喪葬、費す所は皆な常數有り、子弟に分命して其の事を掌らしむ」と。
現代語訳
温公(北宋の司馬光)は言いました。「国の公卿の家で、先祖の家法を守り伝えて長く衰えないのは、亡き宰相李昉の家だけである。子孫が数代を重ねて二百人余りになっても、なお一緒に住んで同じかまどで煮炊きしている。田畑や屋敷からの収入、官職にある者の俸給は、すべて一つの蔵に集め、人数に応じて毎日食料を支給している。婚礼や葬儀にかかる費用はどれも決まった額があり、子弟に役目を分けてその管理を担わせている」。
解説
宋初の宰相李昉の一族が、数代二百人余りで同居を続けた話を、司馬光が称えたものです。収入を一つの蔵に集め、人数で割って日々配り、冠婚葬祭の費用も定額にして、子弟に分担させました。大家族の共同生活は、誰かが譲り、誰かが我慢しなければ一日も続きません。その我慢を個人の徳に頼るだけでなく、決まりとして仕組みにしたところに長続きの秘訣がありました。忍の書に載っているのは、そうした家の和の土台を示すためでしょう。家計でもチームの予算でも、配分の約束事を先に決めておくことが、後の不満や争いを減らします。
この章句が説くこと
家訓和睦同居家法李昉
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