忍経 / 十一世未嘗訟人於官
《按圖記》云:「雷孚,宜豐人也。登進士科,居官清白,長厚,好德與義,以樞相恩贈太子太師,自唐雷衡為人長厚,至孚十一世,未嘗訟人於官。時以為積善之報。」
新字:《按図記》云:「雷孚,宜豊人也。登進士科,居官清白,長厚,好徳与義,以枢相恩贈太子太師,自唐雷衡為人長厚,至孚十一世,未嘗訟人於官。時以為積善之報。」
書き下し
『按圖記』に云ふ「雷孚は宜豐の人なり。進士の科に登り、官に居りて清白、長厚にして、德と義とを好む。樞相の恩を以て太子太師を贈らる。唐の雷衡の人と為り長厚なりしより、孚に至るまで十一世、未だ嘗て人を官に訟へず。時に以て積善の報と為す」と。
現代語訳
『按図記』には次のようにあります。「雷孚は宜豊の人である。進士の科挙に合格し、官職にあっては清廉潔白で、温厚篤実、徳と義を好んだ。枢密院の長官となった子孫の恩によって、太子太師の位を追贈された。唐の雷衡が温厚篤実な人柄だったころから雷孚に至るまで十一代の間、一度も人を役所に訴えたことがなかった。当時の人々は、これを善を積んだ報いだと考えた」。
解説
十一代にわたって一度も人を訴えなかった家の話です。雷家は唐の雷衡から宋の雷孚まで、長厚、つまり温厚で人に厚い家風を守り続けました。当時の人々はその家が栄えたことを、積善の報いと見ました。ここで言う訴えないとは、争いの種を早いうちに譲り合いで解いてきた、ということでしょう。一人の心がけではなく、代々受け継がれた家の気風として忍が描かれている点が特徴です。家庭や会社の文化も、一人の決断ではなく、日々の小さな振る舞いの積み重ねでできあがります。何を次の世代に手渡すかを考えさせる一条です。
この章句が説くこと
忍積善家風訴訟長厚
関連する章句
-
『忍経』五世同居張全翁言ふ、潞州に一農夫有り、五世同居す。太宗并州を討ち、其の舍を過ぎ、其の長を召し、之に訊ねて曰く、「若何の道ありて此に至る」と。對へて曰く、「臣他無し、唯だ能く忍ぶのみ」と。太宗以て然りと爲す。
-
『忍経』事貴能忍耐能く忍ぶを以てすれば、事は習熟するを以て易く、終に人の非理を以て相加ふる忍ぶべからざる者に至るも、亦之に處すること常の如し。忍ぶ能はざれば、事も亦習熟するを以て易く、終に睚眥の怨みの深く較ぶるに足らざる者に至るも、亦交ごも罟りて爭訟し、期するに勝ちを取るを以てして後に已むに至る。其の失ふ所の甚だ多きを知らず。人能く定見有りて、客氣の使ふ所と為らざれば、則ち身心豈に大いに安寧ならざらんや。 『蕭朝散家法』に曰く「常に忍の字を持せば災殃を免る」と。
-
『忍経』子孫數世同居溫公曰く「國家の公卿の能く先法を導きて久しくして衰へざる者は、唯だ故の李相昉の家のみ。子孫數世にして二百餘口に至るも、猶ほ同居して爨を共にし、田園邸舍の收むる所及び官有る者の俸祿は、皆な之を一庫に聚め、口を計りて日に餉を給す。婚姻喪葬、費す所は皆な常數有り、子弟に分命して其の事を掌らしむ」と。
-
『忍経』九世同居張公藝は九世同居す。唐の高宗其の家に臨幸し、本末を問ふ。「忍」の字を書きて以て對ふ。天子流涕し、遂に縑帛を賜ふ。
-
『忍経』謝罪敦睦・善く忍に處する者『袁氏世範』に曰く、人言ふ、家に居りて久しく和する者は、能く忍ぶに本づく、と。然れども忍を知りて忍に處するの道を知らざれば、其の失尤も多し。蓋し忍は或いは藏蓄の意有り。人の我を犯すを藏蓄して發するは、一再に過ぎざるのみ。之を積むこと逾いよ多ければ、其の發するや洪流の決するが如く、遏むべからず。隨ひて之を解き、胸次に置かざるに若かず。曰く此れ其の思はざるのみ、曰く此れ其の無知なるのみ、曰く此れ其の失誤なるのみ、曰く此れ其の見る所の者小なるのみ、曰く此れ其の利害寧ぞ幾何ぞ、と。之をして吾が心に人らしめざれば、日に我を犯す者十數なりと雖も、亦言に形れて色に見るるに至らず。然る後に忍の功效の甚だ大なるを見る。此れ所謂善く忍に處する者なり。
-
『忍経』直為受之呂正獻公著、平生未だ嘗て曲直を較べず。謗りを聞けども、未だ嘗て辯ぜざるなり。少き時、座右銘に書して曰く、「不善己に加へらるれば、直ちに爲に之を受けよ」と。蓋し其の初め自ら懲艾すること此の如し。