忍経 / 憤爭損身,憤亦損財
應令君曰:「人心有所憤者,必有所爭;有所爭者,必有所損。憤而爭鬥損其身,憤而爭訟損其財。此君子所以鑒,易之損而懲憤也。」
新字:応令君曰:「人心有所憤者,必有所争;有所争者,必有所損。憤而争鬥損其身,憤而争訟損其財。此君子所以鑒,易之損而懲憤也。」
書き下し
應令君曰く「人心に憤る所有る者は、必ず爭ふ所有り。爭ふ所有る者は、必ず損する所有り。憤りて爭鬥すれば其の身を損し、憤りて爭訟すれば其の財を損す。此れ君子の鑒みる所以にして、易の損にして憤を懲らすなり」と。
現代語訳
応令君(応という県令)は言いました。「心に怒りがある者には必ず争いがあり、争いがある者には必ず損失がある。怒って殴り合えば身を損ない、怒って訴え合えば財を損なう。これこそ君子が戒めとするところであり、『易』の損の卦が怒りを懲らしめよと説く理由である」。
解説
怒り、争い、損失の三つを一本の鎖としてつないだ短い言葉です。怒りは争いを生み、争いは必ず損を生む。殴り合えば体を、訴え合えば財産を失う、と具体的です。結びの「易の損」は、『易経』の損の卦に「君子は以て忿を懲らし欲を窒ぐ」とあるのを踏まえています。減らすべきものの筆頭に怒りが挙げられているわけです。前の条の彭令君の長い戒めを、ここでは数行に凝縮しています。争いで得をしたつもりでも、時間や気力、人間関係まで含めて勘定すると、たいてい損が残ります。怒りを覚えたら、まずこの鎖を思い出したいところです。
この章句が説くこと
忍怒り損易経争い
関連する章句
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『忍経』將憤忍過片時,心便清涼彭令君曰く「一朝の憤りは以て身を亡ぼし親に及ぶべく、錐刀の利は以て家を破り業を蕩かすべし。故に紛爭は戒めざるべからず。大抵憤爭の起るや、其の初めは甚だ微にして、其の禍は甚だ大なり。所謂涓涓として壅がざれば、將に江河と為らんとし、綿綿として流れざれば、或いは網羅と成る。人能く其の初めに於て堅く忍びて之を制伏すれば、則ち便ち事無し。性は猶ほ火のごときなり。方に發するの初めは、之を戒むること甚だ易し。既已に焰熾んなれば、則ち山を焚き原を燎きて、撲滅すべからず。豈に甚だ畏るべからずや。俗語に云ふ有り『忍ぶを得ば且く忍び、誡むるを得ば且く誡めよ。忍ばず誡めざれば、小事も大と成る』と。試みに今人の憤爭して訟を致し、以て身を亡ぼし親に及び、家を破り產を蕩かすに致る者を觀るに、其の初め亦豈に大故有らんや。人に少しく觸擊せらるる有りて及べば必ず憤り、人に少しく侵淩せらるる所有れば則ち必ず爭ふ。忍ぶこと能はざるや、則ち人を罟りて、人も亦之を罵り、人を毆りて、人も亦之を毆り、人を訟へて、人も亦之を訟ふ。相怨み相仇し、各おの相勝たんことを務む。勝心既に熾んなれば、遏むべき緣無し。此れ身を亡ぼし親に及び、家を破り業を蕩かすの由なり。將に憤らんとするの初めに於て則ち便ち之を忍ぶに若くは莫し。才かに片時を過ぐれば、則ち心必ず清涼ならん。其の爭はんと欲するの初めに且く之を忍ばんことを欲す。果して侵す所の利害有らば、徐ろに禮を以て懇ろに之を問ひ、從はずして後に徐ろに之を官に訟ふるも可なり。若し官司を蒙りて、直を見て之を行ふこと稍峻なるも、亦當に委曲して以て鄰里の義を全うすべし。此くの如くすれば則ち財を傷らず、神を勞せず、身心安寧にして、人も亦信服す。此れ人世中の安樂の法なり。之を爭鬥憤競して、心を喪ひ財を費し、公庭に伺侯し、胥吏に俯仰し、囹圄に拘係せられ、本業を荒廢して以て身を亡ぼし親に及び、家を破り產を蕩かすを事とする者に比ぶれば、亦遠からずや」と。
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『忍経』総論・君子は以て忿を懲らし欲を窒ぐ《易・損卦》に云ふ、「君子は以て忿を懲らし欲を窒ぐ」と。 《書》に周公、周王を戒めて曰く、「小人汝を怨み汝を罟(詈)らば、則ち皇いに自ら德を敬め」と。又た曰く、「啻に敢て怒りを含まざるのみならず」と。又た曰く、「其の心を寬綽にせよ」と。成王、君陳に告げて曰く、「必ず忍ぶこと有りて、其れ乃ち濟すこと有り。容るること有りて、德乃ち大なり」と。 《左傳》宣公十五年に、「諺に曰く、『高下は心に在り、川澤は汙を納れ、山藪は疾を藏し、瑾瑜は瑕を匿す、國君の垢を含むは、天の道なり』」と。昭公元年に、「魯は相忍ぶを以て國を爲むるなり」と。
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易経・象伝山の下に澤有るは、損なり。君子以て忿(いかり)を懲(こ)らし、欲を窒(ふさ)ぐ。
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『忍経』事貴能忍耐能く忍ぶを以てすれば、事は習熟するを以て易く、終に人の非理を以て相加ふる忍ぶべからざる者に至るも、亦之に處すること常の如し。忍ぶ能はざれば、事も亦習熟するを以て易く、終に睚眥の怨みの深く較ぶるに足らざる者に至るも、亦交ごも罟りて爭訟し、期するに勝ちを取るを以てして後に已むに至る。其の失ふ所の甚だ多きを知らず。人能く定見有りて、客氣の使ふ所と為らざれば、則ち身心豈に大いに安寧ならざらんや。 『蕭朝散家法』に曰く「常に忍の字を持せば災殃を免る」と。
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『忍経』王龍舒勸誡・情を折るを善と為す喜怒・好惡・嗜欲は、皆な情なり。情を養ふを惡と為し、情を縱にするを賊と為し、情を折るを善と為し、情を滅するを聖と為す。其の飲食を甘くし、其の衣服を美にし、其の居處を大にす、此くの若きの類、是を情を養ふと謂ふ。飲食流るるが若く、衣服盡く飾り、居處厭くこと無し、是を情を縱にすと謂ふ。之を犯すも授けず、之に觸るるも怒らず、之を傷つくるも忍ばず、事を過ぐるも甚だ喜ぶ。 張文定公曰く「言を謹めば渾て畏れず、事を忍ぶも又何ぞ妨げん」と。 孔旻曰く「盛怒は炎熱よりも劇しく、和を焚きて徒らに自ら傷る。觸れ來るも與に競ふ勿れ、事過ぐれば心清涼なり」と。
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