忍経 / 將憤忍過片時,心便清涼
彭令君曰:「一朝之憤可以亡身及親;錐刀之利可以破家蕩業。故紛爭不可不戒。大抵憤爭之起,其初甚微,而其禍甚大。所謂涓涓不壅,將為江河;綿綿不流,或成網羅。人能於其初而堅忍制伏之,則便無事矣。性猶火也,方發之初,戒之甚易;既已焰熾,則焚山燎原,不可撲滅,豈不甚可畏哉!俗語有云:『得忍且忍,得誡且誡。不忍不誡,小事成大。』試觀今人憤爭致訟,以致亡身及親,破家蕩產者,其初亦豈有大故哉?被人少有觸擊及必憤,被人少有所侵淩則必爭,不能忍也,則罟人,而人亦罵之;毆人,而人亦毆之;訟人,而人亦訟之。相怨相仇,各務相勝。勝心既熾,無緣可遏,此亡身及親,破家蕩業之由也。莫若於將憤之初則便忍之,才過片時,則心必清涼矣。欲其欲爭之初且忍之,果有所侵利害,徐以禮懇問之,不從而後徐訟之於官可也。若蒙官司,見直行之,稍峻,亦當委曲以全鄰里之義。如此則不傷財,不勞神,身心安寧,人亦信服。此人世中安樂法也。比之爭鬥憤競,喪心費財,伺侯公庭,俯仰胥吏,拘係囹圄,荒廢本業以事亡身及親,破家蕩產者,不亦遠乎?」
新字:彭令君曰:「一朝之憤可以亡身及親;錐刀之利可以破家蕩業。故紛争不可不戒。大抵憤争之起,其初甚微,而其禍甚大。所謂涓涓不壅,将為江河;綿綿不流,或成網羅。人能於其初而堅忍制伏之,則便無事矣。性猶火也,方発之初,戒之甚易;既已炎熾,則焚山燎原,不可撲滅,豈不甚可畏哉!俗語有云:『得忍且忍,得誡且誡。不忍不誡,小事成大。』試観今人憤争致訟,以致亡身及親,破家蕩産者,其初亦豈有大故哉?被人少有触撃及必憤,被人少有所侵淩則必争,不能忍也,則罟人,而人亦罵之;殴人,而人亦殴之;訟人,而人亦訟之。相怨相仇,各務相勝。勝心既熾,無縁可遏,此亡身及親,破家蕩業之由也。莫若於将憤之初則便忍之,才過片時,則心必清涼矣。欲其欲争之初且忍之,果有所侵利害,徐以礼懇問之,不従而後徐訟之於官可也。若蒙官司,見直行之,稍峻,亦当委曲以全鄰里之義。如此則不傷財,不労神,身心安寧,人亦信服。此人世中安楽法也。比之争鬥憤競,喪心費財,伺侯公庭,俯仰胥吏,拘係囹圄,荒廃本業以事亡身及親,破家蕩産者,不亦遠乎?」
書き下し
彭令君曰く「一朝の憤りは以て身を亡ぼし親に及ぶべく、錐刀の利は以て家を破り業を蕩かすべし。故に紛爭は戒めざるべからず。大抵憤爭の起るや、其の初めは甚だ微にして、其の禍は甚だ大なり。所謂涓涓として壅がざれば、將に江河と為らんとし、綿綿として流れざれば、或いは網羅と成る。人能く其の初めに於て堅く忍びて之を制伏すれば、則ち便ち事無し。性は猶ほ火のごときなり。方に發するの初めは、之を戒むること甚だ易し。既已に焰熾んなれば、則ち山を焚き原を燎きて、撲滅すべからず。豈に甚だ畏るべからずや。俗語に云ふ有り『忍ぶを得ば且く忍び、誡むるを得ば且く誡めよ。忍ばず誡めざれば、小事も大と成る』と。試みに今人の憤爭して訟を致し、以て身を亡ぼし親に及び、家を破り產を蕩かすに致る者を觀るに、其の初め亦豈に大故有らんや。人に少しく觸擊せらるる有りて及べば必ず憤り、人に少しく侵淩せらるる所有れば則ち必ず爭ふ。忍ぶこと能はざるや、則ち人を罟りて、人も亦之を罵り、人を毆りて、人も亦之を毆り、人を訟へて、人も亦之を訟ふ。相怨み相仇し、各おの相勝たんことを務む。勝心既に熾んなれば、遏むべき緣無し。此れ身を亡ぼし親に及び、家を破り業を蕩かすの由なり。將に憤らんとするの初めに於て則ち便ち之を忍ぶに若くは莫し。才かに片時を過ぐれば、則ち心必ず清涼ならん。其の爭はんと欲するの初めに且く之を忍ばんことを欲す。果して侵す所の利害有らば、徐ろに禮を以て懇ろに之を問ひ、從はずして後に徐ろに之を官に訟ふるも可なり。若し官司を蒙りて、直を見て之を行ふこと稍峻なるも、亦當に委曲して以て鄰里の義を全うすべし。此くの如くすれば則ち財を傷らず、神を勞せず、身心安寧にして、人も亦信服す。此れ人世中の安樂の法なり。之を爭鬥憤競して、心を喪ひ財を費し、公庭に伺侯し、胥吏に俯仰し、囹圄に拘係せられ、本業を荒廢して以て身を亡ぼし親に及び、家を破り產を蕩かすを事とする者に比ぶれば、亦遠からずや」と。
現代語訳
彭令君(彭という県令)は言いました。「一朝の怒りは身を滅ぼし親にまで累を及ぼし、錐の先ほどのわずかな利益は家を破り家業を潰す。だから争いごとは戒めなければならない。たいてい怒りから起こる争いは、はじめはごく小さいが、その災いはとても大きい。いわゆる『ちょろちょろ流れる水もせき止めなければ大河となり、細く続く糸も断たなければ網になる』というものだ。人がそのはじめに固く忍んで怒りを抑え込めば、何事も起こらない。気性は火のようなものだ。燃え出したばかりのときは戒めるのはたやすいが、炎が燃え盛ってしまえば山を焼き野を焼き尽くして消し止められない。なんと恐ろしいことではないか。俗に『忍べるならひとまず忍べ、戒められるならひとまず戒めよ。忍ばず戒めなければ、小事も大事になる』と言う。試しに今の人が怒って争い訴訟を起こし、身を滅ぼし親に累を及ぼし、家を破り財産を失うに至った例を見てみるがよい。そのはじめに何か大きな理由があっただろうか。人に少し突っかかられると必ず怒り、少し侵されると必ず争う。忍べないので、人をののしれば人もののしり返し、人を殴れば人も殴り返し、人を訴えれば人も訴え返す。互いに恨み仇となり、それぞれ勝つことに躍起になる。勝ちたい心が燃え盛れば、もう止めるすべがない。これこそが、身を滅ぼし親に累を及ぼし、家を破り家業を潰す原因なのだ。怒りかけたそのはじめに、すぐ忍ぶのがいちばんよい。ほんのしばらく時が過ぎれば、心は必ず冷静になる。争いたくなったはじめには、ひとまず忍ぶようにしたいものだ。本当に利害を侵されたのであれば、ゆっくりと礼を尽くして丁寧に問いただし、それでも応じなければ、そのあとで落ち着いて役所に訴えればよい。もし役所の裁きを受けて、こちらの正しさが認められ、その執行がやや厳しいものになったとしても、やはり事を丸く収めて隣近所の義理を保つべきである。こうすれば財産を損なわず、気力もすり減らさず、心身は安らかで、人々も信頼して服する。これが世の中で安楽に暮らす方法である。怒って争い、心を失い財を費やし、役所の庭で順番を待ち、下役人にぺこぺこし、牢獄につながれ、本業を荒らして、身を滅ぼし親に累を及ぼし、家を破り財産を失うことに明け暮れる者と比べれば、なんとかけ離れていることか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『忍経』事貴能忍耐能く忍ぶを以てすれば、事は習熟するを以て易く、終に人の非理を以て相加ふる忍ぶべからざる者に至るも、亦之に處すること常の如し。忍ぶ能はざれば、事も亦習熟するを以て易く、終に睚眥の怨みの深く較ぶるに足らざる者に至るも、亦交ごも罟りて爭訟し、期するに勝ちを取るを以てして後に已むに至る。其の失ふ所の甚だ多きを知らず。人能く定見有りて、客氣の使ふ所と為らざれば、則ち身心豈に大いに安寧ならざらんや。 『蕭朝散家法』に曰く「常に忍の字を持せば災殃を免る」と。
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『忍経』王龍舒勸誡・情を折るを善と為す喜怒・好惡・嗜欲は、皆な情なり。情を養ふを惡と為し、情を縱にするを賊と為し、情を折るを善と為し、情を滅するを聖と為す。其の飲食を甘くし、其の衣服を美にし、其の居處を大にす、此くの若きの類、是を情を養ふと謂ふ。飲食流るるが若く、衣服盡く飾り、居處厭くこと無し、是を情を縱にすと謂ふ。之を犯すも授けず、之に觸るるも怒らず、之を傷つくるも忍ばず、事を過ぐるも甚だ喜ぶ。 張文定公曰く「言を謹めば渾て畏れず、事を忍ぶも又何ぞ妨げん」と。 孔旻曰く「盛怒は炎熱よりも劇しく、和を焚きて徒らに自ら傷る。觸れ來るも與に競ふ勿れ、事過ぐれば心清涼なり」と。
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『忍経』王龍舒勸誡・一支の蓮火中に生ず『莫爭打』の詩に曰く「時閑の憤怒に便ち拳を引けば、官司を招引して眼前に在り。獄に下りて枷を戴き責罰に遭ひ、更に須らく枉げて幾文の錢を費すべし」と。 『誤觸人腳』の詩に云ふ「行人の腳後跟に觸れ了れば、告げて言ふ、罪を得たり我當に烹らるべし、と。此の方慝を引くこと丘山のごとく重ければ、彼は卻つて情を厚くして羽發のごとく輕し」と。 『莫應對』の詩に云ふ「人來りて我を罵りて無明を逞しうす、我若し他に還さば便ち鬥爭す。聽くも聞かざるが似くして應對を休めよ、一支の蓮火中に生ず」と。