忍経 / 未嘗按黜一吏
陳文惠公堯佐,十典大州,六為轉運使,常以方嚴肅下,使人知畏。而重犯法至其過失,則多保佑之。故未嘗按黜一下吏。
新字:陳文恵公堯佐,十典大州,六為転運使,常以方厳粛下,使人知畏。而重犯法至其過失,則多保佑之。故未嘗按黜一下吏。
書き下し
陳文惠公堯佐は、十たび大州を典り、六たび轉運使と為る。常に方嚴を以て下を肅し、人をして畏るるを知らしむ。而して法を犯すを重んずるも、其の過失に至りては、則ち多く之を保佑す。故に未だ嘗て一下吏をも按黜せず。
現代語訳
陳文恵公堯佐(北宋の陳堯佐)は、十回大きな州を治め、六回転運使を務めました。常に方正で厳格な態度で部下を引き締め、人々に畏れることを知らせました。そして法を犯すことは重く見ましたが、過失については多くの場合かばいました。そのため、一人の下役人も取り調べて罷免したことがありませんでした。
解説
厳しさと寛容さの使い分けを示す短い一条です。陳堯佐は普段は厳格で、部下に畏れを抱かせるほどでした。しかし、故意に法を犯すことと、うっかりした過失とを分けて扱い、後者はかばいました。その結果、長い官歴で一人も罷免しなかったといいます。厳しいだけでも甘いだけでもなく、何を許し何を許さないかの線がはっきりしていたから、部下は安心して働けたのでしょう。現代の組織でも、不正とミスを同じ重さで責めると、人はミスを隠すようになります。線引きを明確にすることが、寛容を放任にしない条件です。
この章句が説くこと
寛容恕厳格過失陳堯佐
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