忍経 / 委曲彌縫
王沂公曾再蒞大名代陳堯谘。既視事,府署毀圯者,既舊而葺之,無所改作;什器之損失者,完補之如數;政有不便,委曲彌縫,悉掩其非。及移守洛師,陳復為代,睹之歎曰:「王公宜其為宰相,我之量弗及。」蓋陳以昔時之嫌,意謂公必反其故,發其隱者。
新字:王沂公曽再莅大名代陳堯谘。既視事,府署毀圯者,既旧而葺之,無所改作;什器之損失者,完補之如数;政有不便,委曲弥縫,悉掩其非。及移守洛師,陳復為代,睹之嘆曰:「王公宜其為宰相,我之量弗及。」蓋陳以昔時之嫌,意謂公必反其故,発其隠者。
書き下し
王沂公曾、再び大名に蒞みて陳堯谘に代る。既に事を視るに、府署の毀圯する者は、既に舊なるも之を葺き、改作する所無し。什器の損失する者は、之を完補すること數の如し。政に便ならざる有れば、委曲彌縫し、悉く其の非を掩ふ。洛師に移守するに及び、陳復た代と爲り、之を睹て歎じて曰く、「王公宜なるかな其の宰相爲ること、我の量及ばず」と。蓋し陳は昔時の嫌を以て、意ふに公必ず其の故を反し、其の隱を發かんと謂へり。
現代語訳
王沂公曾(北宋の宰相王曾)は、二度目に大名府に赴任して陳堯咨と交代しました。職務に就くと、役所の建物で壊れたものは、古いままに修繕するだけで、作り替えることはしませんでした。道具類で失われたものは、元の数どおりに補いました。政治に不都合なところがあっても、細やかに取り繕って、前任者の落ち度をすべて覆い隠しました。のちに王曾が洛陽の長官に移ると、陳堯咨が再び後任となり、その様子を見て嘆息して言いました。「王公が宰相になられたのはもっともだ。私の度量は及ばない」。というのも、陳堯咨は以前の確執があったので、王曾がきっと前のやり方をひっくり返し、隠れた落ち度を暴くだろうと思っていたからです。
解説
北宋の宰相王曾の逸話です。以前に確執のあった陳堯咨の後任となった王曾は、前任者のやり方を改めず、壊れたものは元どおりに直し、足りない道具は補い、政治の不備も目立たないように取り繕いました。後任が前任者の粗を探して自分の手柄にするのは、今も昔もありがちなことです。王曾はその逆を行い、前任者の顔を立てたのです。陳堯咨は仕返しを覚悟していただけに、その度量に深く感じ入りました。仕事を引き継いだとき、前任者の落ち度を指摘したくなる気持ちは自然なものです。ただ、改めるべきことは静かに改め、人をおとしめないことが、長い目で見て信頼を築くのでしょう。
この章句が説くこと
忍度量引継ぎ王曽怨み
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