忍経 / 未嘗峻折
歐陽永叔在政府時,每有人不中理者,輒峻折之,故人多怨。韓魏公則不然,從容諭之,以不可之理而已,未嘗峻折之也。
新字:欧陽永叔在政府時,毎有人不中理者,輒峻折之,故人多怨。韓魏公則不然,従容諭之,以不可之理而已,未嘗峻折之也。
書き下し
歐陽永叔、政府に在りし時、每に人の理に中らざる者有れば、輒ち之を峻折す。故に人多く怨む。韓魏公は則ち然らず、從容として之を諭し、不可の理を以てするのみ、未だ嘗て之を峻折せざるなり。
現代語訳
欧陽永叔(北宋の欧陽脩)は政府の要職にあったとき、道理に合わないことを言う人がいると、そのたびに厳しくやりこめました。そのため多くの人に怨まれました。韓魏公(韓琦)はそうではなく、ゆったりと諭して、それがなぜいけないかという道理を示すだけで、厳しくやりこめたことはありませんでした。
解説
北宋の二人の大臣、欧陽脩と韓琦の対比です。欧陽脩は唐宋八大家に数えられる文人で、正論をまっすぐにぶつける人でした。道理に合わない相手を厳しくやりこめたため、多くの怨みを買ったと言います。一方の韓琦は、同じく相手の誤りを退けても、なぜだめなのかを穏やかに説くだけでした。どちらも言っている中身は正しいのですが、伝え方の違いが、人の心に残るものを大きく変えました。正しいことを言うときほど、言い方に気をつけなければ、相手は中身ではなく屈辱のほうを覚えています。部下や同僚の誤りを指摘する場面で、相手の面子を折らずに伝えられているか、見直したくなる話です。
この章句が説くこと
忍韓琦叱り方怨み処世
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『忍経』潛卷授之韓魏公魏府に在りしとき、僚屬の路拯なる者、案に就きて有司の事を呈するに、狀の尾に名を書するを忘る。公即ち袖を以て之を覆ひ、首を仰ぎて與に語り、稍稍潛かに卷きて、從容として以て之を授く。
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『忍経』不形於言韓魏公は器重閎博にして、容れざる所無し。館閣に在りしより、已に天下に重望有り。同館の王拱辰・御史葉定基と、同じく開封府の舉人を發解す。拱辰・定基時に喧爭有り。公幕中に安坐して試卷を閱し、聞かざるが如し。拱辰己を助けざるに奮ひ、公の室に詣りて公に謂ひて曰く、「此の中に器度を習ふか」と。公和顏して之に謝す。公陝西招討と爲る。時に師魯と英公と相與せず。師魯は公の處に於いて即ち英公の事をあげつらひ、英公も公の處に於いて亦た師魯を論ず。皆な之を納る。言に形はさず、遂に事無し。然らずんば靜かならず。
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『忍経』辭和氣平凡そ人其の平らかならざる所に語り及べば、則ち氣必ず動き、色必ず變じ、辭必ず厲し。唯だ韓魏公は然らず、更に小人の恩を忘れ義に背き、己を傾けんと欲する處に說き到るも、辭和し氣平らかにして、平常の事を道ふが如し。
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『忍経』受之未嘗行色韓魏公、因りて君子小人の際を諭して、皆な高く誠を以て之を待つ。但だ其の小人為るを知れば、則ち淺く之と接するのみ。凡そ人の小人の己を欺く處に於けるや、覺れば必ず其の明を露はして以て之を破る。公は獨り然らず。明は以て小人の欺きを明らかにするに足るも、然も每に之を受けて、未だ嘗て色に形さざるなり。
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『忍経』語侵不恨杜衍曰く、「今の位に在る者は、多く是れ人の小節を責む。是れ誠に恕ならざるなり」と。衍、知州・提轉・安撫を歷て、未だ嘗て一官員を壞らず。其の職ならざる者は、之に委ぬるに事を以てし、惰るに暇あらざらしむ。謹まざる者は、諭すに禍福を以てし、必ずしも之を繩すに法を以てせざるなり。范仲淹嘗て衍と事の異同を論じ、語を以て杜衍を侵すに至るも、衍恨みと爲さず。