忍経 / 罵如不聞
富文公少時,有罵者,如不聞。人曰:「他罵汝。」公曰:「恐罵他人。」又告曰:「斥公名云富某。」公曰:「天下安知無同姓名者?」
書き下し
富文公少き時、罵る者有れども、聞かざるが如し。人曰く、「他汝を罵る」と。公曰く、「恐らくは他人を罵らん」と。又た告げて曰く、「公の名を斥して富某と云ふ」と。公曰く、「天下安んぞ同姓名の者無きを知らんや」と。
現代語訳
富文公(北宋の宰相富弼)は若いころ、自分を罵る者がいても、聞こえないかのようにしていました。ある人が「あの人はあなたを罵っていますよ」と言うと、富弼は「たぶん他の人を罵っているのでしょう」と答えました。さらに「あなたの名を名指しして、富某と言っていますよ」と告げると、富弼は「天下に同姓同名の者がいないとどうして分かりましょう」と言いました。
解説
北宋の宰相富弼の若いころの逸話です。自分を罵る声が聞こえても、富弼は自分のことではないだろうと受け流しました。名指しされていると言われても、同姓同名の人がいるかもしれないととぼけたのです。罵りを自分宛てのものとして受け取らなければ、怒りの起こりようがありません。相手の挑発に乗らないための、ユーモアを含んだ見事な知恵です。富弼は後に宰相となり、契丹との交渉でも知られた人です。今日でも、インターネット上の悪口などに一つひとつ反応していては心がもちません。自分宛てと決めつけず受け流すという構えは、無用な争いから身を守る術になります。
この章句が説くこと
忍富弼悪口受け流す不争
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