忍経 / 不形於言
韓魏公器重閎博,無所不容,自在館閣,已有重望於天下。與同館王拱辰、御史葉定基,同發解開封府舉人。拱辰、定基時有喧爭,公安坐幕中閱試卷,如不聞。拱辰奮不助己,詣公室謂公曰:「此中習器度耶?」公和顏謝之。公為陝西招討,時師魯與英公不相與,師魯於公處即英公事,英公於公處亦論師魯,皆納之。不形於言,遂無事。不然不靜矣。
新字:韓魏公器重閎博,無所不容,自在館閣,已有重望於天下。与同館王拱辰、御史葉定基,同発解開封府舉人。拱辰、定基時有喧争,公安坐幕中閲試巻,如不聞。拱辰奮不助己,詣公室謂公曰:「此中習器度耶?」公和顔謝之。公為陝西招討,時師魯与英公不相与,師魯於公処即英公事,英公於公処亦論師魯,皆納之。不形於言,遂無事。不然不静矣。
書き下し
韓魏公は器重閎博にして、容れざる所無し。館閣に在りしより、已に天下に重望有り。同館の王拱辰・御史葉定基と、同じく開封府の舉人を發解す。拱辰・定基時に喧爭有り。公幕中に安坐して試卷を閱し、聞かざるが如し。拱辰己を助けざるに奮ひ、公の室に詣りて公に謂ひて曰く、「此の中に器度を習ふか」と。公和顏して之に謝す。公陝西招討と爲る。時に師魯と英公と相與せず。師魯は公の處に於いて即ち英公の事をあげつらひ、英公も公の處に於いて亦た師魯を論ず。皆な之を納る。言に形はさず、遂に事無し。然らずんば靜かならず。
現代語訳
韓魏公(北宋の宰相韓琦)は器が大きく度量が広く、容れないものはありませんでした。館閣(宮中の図書・学術の官)にいたころから、すでに天下の人望を集めていました。同じ館閣の王拱辰や御史の葉定基とともに、開封府の科挙の地方試験を担当したとき、王拱辰と葉定基はしばしば言い争いました。韓琦は幕の中に落ち着いて座って答案を読み、まるで聞こえないかのようでした。王拱辰は自分に加勢しないことに憤り、韓琦の部屋に来て「ここで度量の稽古でもしているのか」と言いました。韓琦は穏やかな顔で詫びました。韓琦が陝西の招討使となったとき、師魯(尹洙)と英公(夏竦)は折り合いが悪く、師魯は韓琦のところで英公のことをあげつらい、英公も韓琦のところで師魯を論じました。韓琦はどちらの話も受け止めましたが、それを口に出して相手に伝えることはしなかったので、何事も起こりませんでした。そうでなければ平穏ではすまなかったでしょう。
解説
この章句が説くこと
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