忍経 / 還居不追直
趙清獻公家有三衢,所居甚隘,弟侄欲悅公意者,厚以直易鄰翁之居,以廣公第。公聞不樂,曰:「吾與此翁三世為鄰矣,忍棄之乎?」命亟還公居而不追其直。此皆人情之所難也。
新字:趙清献公家有三衢,所居甚隘,弟侄欲悦公意者,厚以直易鄰翁之居,以広公第。公聞不楽,曰:「吾与此翁三世為鄰矣,忍棄之乎?」命亟還公居而不追其直。此皆人情之所難也。
書き下し
趙清獻公、家に三衢に有り、居る所甚だ隘し。弟姪の公の意を悅ばしめんと欲する者、厚き直を以て鄰翁の居を易へ、以て公の第を廣む。公聞きて樂しまず、曰く、「吾此の翁と三世鄰爲り、之を棄つるに忍びんや」と。命じて亟かに公(翁)に居を還し、而して其の直を追はず。此れ皆な人情の難しとする所なり。
現代語訳
趙清献公(北宋の趙抃)の家は三衢(衢州)にあり、住まいはとても手狭でした。公の機嫌を取ろうとした弟や甥たちが、高い値で隣の老人の家を買い取り、公の屋敷を広げました。公はそれを聞いて喜ばず、「私はこの老人と三代にわたって隣人なのだ。どうして追い出すことに忍びようか」と言いました。そして急いで老人に家を返させ、支払った代金も取り戻そうとはしませんでした。これはいずれも、人の情としてなかなかできないことです。
解説
前に琴と亀を携えて旅した話の趙抃の、故郷での逸話です。気を利かせた弟や甥たちが、高値で隣家を買い取って屋敷を広げたとき、趙抃は喜ぶどころか、三代続いた隣人を追い出すのは忍びないと言って家を返させました。しかも支払った代金は取り戻しませんでした。ここでの忍は、耐えることではなく、忍びないという思いやりの心です。自分の得になることでも、長い付き合いの人を犠牲にするなら受け取らない、という筋の通し方が見えます。身内が良かれと思ってしてくれたことでも、誰かを押しのけていないかを確かめる目を持ちたいものです。便利さと引き換えに失う人間関係を、軽く見てはいけないのでしょう。
この章句が説くこと
忍隣人趙抃恕処世
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