忍経 / 容物不校
傅公堯俞在徐,前守侵用公使錢,公竊為償之,未足而公罷,後守反以文移公,當償千緡,公竭資且假貸償之。久之,鉤考得實,公蓋未嘗侵用也,卒不辯,其容物不校如此。
新字:傅公堯兪在徐,前守侵用公使銭,公窃為償之,未足而公罷,後守反以文移公,当償千緡,公竭資且仮貸償之。久之,鉤考得実,公蓋未嘗侵用也,卒不弁,其容物不校如此。
書き下し
傅公堯俞、徐に在り。前守公使錢を侵用す。公竊かに爲に之を償ふ。未だ足らずして公罷む。後守反つて文を以て公に移し、當に千緡を償ふべしとす。公資を竭くし且つ假貸して之を償ふ。之を久しうして、鉤考して實を得たり、公蓋し未だ嘗て侵用せざるなり。卒に辯ぜず。其の物を容れて校せざること此の如し。
現代語訳
傅堯兪(北宋の人)が徐州の長官であったとき、前任の長官が公用の経費を使い込んでいました。傅堯兪はひそかに代わってそれを弁済していましたが、弁済し終わらないうちに職を解かれました。後任の長官はかえって文書で傅堯兪に通知し、千緡(一千貫の銭)を弁償せよと言ってきました。傅堯兪は財産を使い果たし、さらに借金までして弁償しました。しばらくして帳簿を調べて真相が分かり、傅堯兪は一度も使い込んでいなかったことが明らかになりましたが、彼は最後まで弁明しませんでした。人を包み容れて張り合わないことは、このようでした。
解説
前に李沆の逸話を伝えていた傅堯兪自身の話です。前任者が公金を使い込んでいたのを、傅堯兪は告発せずにひそかに穴埋めしていました。ところが完済前に職を離れたため、後任者から自分が使い込んだかのように弁償を求められてしまいます。傅堯兪は前任者の名を出さず、借金までして払いました。後に調べで潔白が明らかになっても、弁明はしなかったと言います。前任者の恥を守り通したわけですが、今日の組織でこれを真似すれば、不正の隠蔽になってしまいます。学ぶべきは、自分の潔白を声高に叫ぶより、事実が明らかになるのを待つ胆力と、人の失敗を言いふらさない慎みのほうでしょう。
この章句が説くこと
忍弁明傅堯兪潔白寛容
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