忍経 / 語侵不恨
杜衍曰:「今之在位者,多是責人小節,是誠不恕也。」衍歷知州,提轉安撫,未嘗壞一官員。其不職者,委之以事,使不暇惰;不謹者,諭以禍福,不必繩之以法也。范仲淹嘗與衍論事異同,至以語侵杜衍,衍不為恨。
新字:杜衍曰:「今之在位者,多是責人小節,是誠不恕也。」衍歴知州,提転安撫,未嘗壊一官員。其不職者,委之以事,使不暇惰;不謹者,諭以禍福,不必縄之以法也。范仲淹嘗与衍論事異同,至以語侵杜衍,衍不為恨。
書き下し
杜衍曰く、「今の位に在る者は、多く是れ人の小節を責む。是れ誠に恕ならざるなり」と。衍、知州・提轉・安撫を歷て、未だ嘗て一官員を壞らず。其の職ならざる者は、之に委ぬるに事を以てし、惰るに暇あらざらしむ。謹まざる者は、諭すに禍福を以てし、必ずしも之を繩すに法を以てせざるなり。范仲淹嘗て衍と事の異同を論じ、語を以て杜衍を侵すに至るも、衍恨みと爲さず。
現代語訳
杜衍(北宋の宰相)は言いました。「今、地位にある人の多くは、他人の小さな落ち度を責める。これはまことに恕(思いやり)に欠けている」。杜衍は知州、提点刑獄・転運使、安撫使などを歴任しましたが、一人の役人も失脚させたことがありませんでした。職務に向かない者には仕事を任せて怠ける暇を与えず、慎みのない者には禍と福の道理を諭して、必ずしも法で縛ることはしませんでした。范仲淹(北宋の政治家)がかつて杜衍と意見の違いを論じ、言葉で杜衍を攻撃するほどになりましたが、杜衍は恨みに思いませんでした。
解説
北宋の杜衍の言葉と行いを記した一節です。地位ある人が部下の小さな落ち度を責めるのは恕に欠けると言い、自身は各地の長官を務めても一人の役人も失脚させませんでした。怠ける者には仕事を与えて怠ける暇をなくし、慎みのない者には道理を説いて、すぐに罰に頼らなかったのです。これは人を見捨てずに使いこなす工夫と言えます。また范仲淹と激しく議論して言葉で攻められても、恨みを残しませんでした。意見の対立と人への恨みを切り分けられるのは、成熟した大人の姿です。会議で強く反論されたあとも、相手との関係を普段どおりに保てるか、自分に問うてみたい話です。
この章句が説くこと
忍恕杜衍部下議論
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『忍経』俾之自新杜正獻公衍嘗て曰く「今の上に在る者は、多く下位の小節を擿發す。是れ誠に恕ならざるなり。衍兗州に知たりし時、州縣の官に累重くして素より貧しき者有れば、公租の得る所を以て均しく之に給す。公租足らざれば、即ち繼ぐに公帑を以てし、其の小大を量りて、咸な自ら足らしむ。尚ほ復た侵擾する者有らば、真の貪吏なり。義に於て責むべし」と。又曰く「衍は知州・提轉・安撫を歷て、未だ嘗て一個の官員を壞らず。其の間職ならざる者は、即ち委ぬるに事を以てし、之をして暇惰ならしむ。謹まざる者は、諭すに禍福を以てし、之をして自ら新たにせしむ。而して善に遷る者甚だ衆し。必ずしも繩すに法を以てせざるなり」と。
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『宋名臣言行録』前集巻七・杜衍又た曰く、今の上に在る者、多く下位の小節を擿發す。是れ誠に恕せざるなり。衍、兖州を知る時、州縣の官に累重くして素より貧しき者有り。公租の得る所を以て之を均給す。公租給せざれば即ち繼ぐに公帑を以てす。其の小大を量りて、咸な自ら足らしむ。尚お復た侵擾する者有らば、真の貪吏なり。義に於て責む可しと。又た曰く、衍、州を知り提轉・安撫を厯するに、未だ嘗て一箇の官員をも壊らず。其の間、不職なる者は、即ち委ぬるに事を以てし、之をして惰るに暇あらざらしむ。不慎なる者は、諭すに禍福を以てし、之をして自ら新たならしむ。從いて善に遷る者甚だ衆し。必ずしも繩するに法を以てせざるなり。其の文學・政事・殊行・絶徳有る者は、面を識らずと雖も、未だ嘗て力めて朝に薦めずんばあらず。一善の稱す可き、一長の錄す可き者有らば、亦た未だ嘗て所能に隨いて之を薦めずんばあらず。
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