忍経 / 酒流滿路
王文正公母弟,傲不可訓。一日過冬至,祠家廟列百壺於堂前,弟皆擊破之,家人俱駭。文正忽自外入,見酒流,又滿路,不可行,俱無一言,但攝衣步入堂。其後弟忽感悟,復為善。終亦不言。
新字:王文正公母弟,傲不可訓。一日過冬至,祠家廟列百壺於堂前,弟皆撃破之,家人倶駭。文正忽自外入,見酒流,又満路,不可行,倶無一言,但摂衣歩入堂。其後弟忽感悟,復為善。終亦不言。
書き下し
王文正公の母弟、傲りて訓ふべからず。一日冬至を過ごし、家廟を祠りて百壺を堂前に列ぬ。弟皆な之を擊破す。家人俱に駭く。文正忽ち外より入り、酒の流れて、又た路に滿ち、行くべからざるを見るも、俱に一言無く、但だ衣を攝げて步みて堂に入る。其の後弟忽ち感悟し、復た善を爲す。終に亦た言はず。
現代語訳
王文正公(北宋の宰相王旦)の同母弟は傲慢で、教えさとしても聞き入れませんでした。ある年の冬至に、家の廟を祭って百の酒壺を堂の前に並べていたところ、弟がそれをすべて叩き割ってしまい、家の者はみな驚き慌てました。王旦はふと外から帰ってきて、酒が流れ出して道いっぱいにあふれ、歩けないほどなのを見ましたが、一言も言わず、ただ衣の裾をからげて歩いて堂に入りました。その後、弟はにわかに感じ悟って、善い行いをするようになりました。王旦は最後までそのことを口にしませんでした。
解説
北宋の宰相王旦の逸話で、前の段で寇準を重んじた人と同じ人物です。傲慢な弟が冬至の祭りのための酒壺を百も叩き割り、家じゅうが騒然となりました。王旦は流れる酒で歩けない道を、衣の裾をからげて黙って通り、一言も叱りませんでした。叱られることを予期していた弟にとって、この沈黙はどんな説教よりも重く響いたのでしょう。弟はやがて自ら悔い改め、王旦は最後までその件に触れませんでした。反発している相手に言葉を重ねても、かえって意地を張らせるだけのことがあります。黙って見守ることが、相手の自分で気づく力を引き出すこともあるのです。
この章句が説くこと
忍沈黙兄弟王旦改過
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