忍経 / 益見忠直
王太尉旦薦寇萊公來相,萊公數短太尉於上前,而太尉專稱其長。上一日謂太尉曰:「卿雖稱其美,彼談卿惡。」太尉曰:「理固當然。臣在相位久,政事闕失必多。準對陛下無所隱,益見其忠。臣所以重準也。」上由是益賢太尉。
新字:王太尉旦薦寇萊公来相,萊公数短太尉於上前,而太尉専称其長。上一日謂太尉曰:「卿雖称其美,彼談卿悪。」太尉曰:「理固当然。臣在相位久,政事闕失必多。準対陛下無所隠,益見其忠。臣所以重準也。」上由是益賢太尉。
書き下し
王太尉旦、寇萊公を薦めて來りて相たらしむ。萊公數々太尉を上の前に短る。而るに太尉專ら其の長を稱す。上一日太尉に謂ひて曰く、「卿其の美を稱すと雖も、彼卿の惡を談ず」と。太尉曰く、「理固より當に然るべし。臣相位に在ること久しく、政事の闕失必ず多からん。準陛下に對して隱す所無し、益々其の忠を見る。臣の準を重んずる所以なり」と。上是に由りて益々太尉を賢とす。
現代語訳
太尉の王旦(北宋の宰相)は寇準(萊国公)を推薦して宰相に迎えました。ところが寇準は、しばしば天子の前で王旦の短所をあげつらいましたが、王旦はもっぱら寇準の長所をほめていました。ある日、天子が王旦に「そなたは彼の美点をほめるが、彼はそなたの悪口を言っているぞ」と言いました。王旦は答えました。「道理として当然のことです。私は長く宰相の位にありますから、政治の欠点や過ちもきっと多いでしょう。寇準は陛下に対して何も隠さない。それでいよいよ彼の忠義が分かります。これが私が寇準を重んじる理由です」。天子はこれによって、いっそう王旦を賢者だと思いました。
解説
北宋の宰相王旦と寇準の話で、『宋史』王旦伝などに見えます。寇準は天子の前でしばしば王旦の短所を言い立てましたが、王旦は寇準の長所ばかりをほめ続けました。天子にそれを指摘されると、長く宰相を務めていれば落ち度も多いはずで、それを隠さず言うのは忠義の表れだと答えたのです。自分への批判を個人攻撃として受け取らず、仕事への指摘として受け止めた点が見事です。寇準は剛直で知られた人で、王旦はその性格ごと人物を評価していました。批判してくる相手を遠ざけず、その率直さを生かすことは、上に立つ人の大きな力になります。耳の痛い指摘をする人を、あなたはどう扱っているでしょうか。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
忍批判王旦度量忠直
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