忍経 / 唯得忠恕
范純仁嘗曰:「我平生所學。唯得忠恕二字,一生用不盡,以至立朝事君,接待僚友,親睦宗族,未嘗須臾離此也。」又戒子弟曰:「人雖至愚,責人則明;雖有聰明,恕己則昏。爾曹但常以責人之心責己,恕己之心恕人。不患不到聖賢地位也。」
新字:范純仁嘗曰:「我平生所学。唯得忠恕二字,一生用不尽,以至立朝事君,接待僚友,親睦宗族,未嘗須臾離此也。」又戒子弟曰:「人雖至愚,責人則明;雖有聰明,恕己則昏。爾曹但常以責人之心責己,恕己之心恕人。不患不到聖賢地位也。」
書き下し
范純仁嘗て曰く、「我平生學ぶ所、唯だ忠恕の二字を得たり。一生用ひて盡きず。以て朝に立ち君に事へ、僚友に接待し、宗族に親睦するに至るまで、未だ嘗て須臾も此を離れざるなり」と。又た子弟を戒めて曰く、「人至愚なりと雖も、人を責むれば則ち明なり。聰明有りと雖も、己を恕すれば則ち昏し。爾曹但だ常に人を責むるの心を以て己を責め、己を恕するの心もて人を恕せよ。聖賢の地位に到らざるを患へざるなり」と。
現代語訳
范純仁(北宋の宰相、范仲淹の子)はかつて言いました。「私が生涯に学んだことは、ただ忠と恕の二字だけだ。一生使っても使い尽くせない。朝廷に立って君主に仕えることから、同僚との付き合い、一族と親しむことに至るまで、片時もこれを離れたことはない」。また子弟を戒めて言いました。「人はどれほど愚かでも、他人を責めるときは賢い。どれほど聡明でも、自分を許すときは愚かになる。お前たちは、いつも他人を責める心で自分を責め、自分を許す心で他人を許しなさい。そうすれば聖賢の境地に到らないことを心配する必要はない」。
解説
北宋の范純仁の言葉で、父は先憂後楽で知られる范仲淹です。一生かけて学んだのは忠と恕の二字だけで、それで一生足りると言い切っています。忠は自分の真心を尽くすこと、恕は自分の身に引き比べて人を思いやることです。子弟への戒めは特に有名で、人を責めるときは誰でも賢く、自分を許すときは誰でも愚かになるという観察は、今も鋭く響きます。だから人を責める目を自分に向け、自分を許す心を人に向けよと言うのです。この向きを入れ替えるだけで、人間関係の多くの摩擦は減るでしょう。人の欠点が気になったとき、同じ物差しを自分に当ててみることから始められます。
この章句が説くこと
忍忠恕恕范純仁修身
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻十一・范純仁公嘗て曰く、我が平生學ぶ所は唯だ忠恕の二字を得たるのみ。一生用いて盡きず。以て朝に立ち君に事え、僚友に接待し、宗族に親睦するに至るまで、未だ嘗て須臾も此を離れざるなりと。又た子弟を戒めて曰く、人は至愚と雖も人を責むれば則ち明らかなり。聰明有りと雖も己を恕せば則ち昏し。爾曹但だ常に人を責むるの心を以て己を責め、己を恕するの心を以て人を恕せば、聖賢の地位に到らざるを患えずと。親戚の間に子弟の公に教えを請う有り。公曰く、唯だ儉のみ以て亷を助く可く、唯だ恕のみ以て德を成す可しと。其の人座隅に書して終身佩服す。
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『忍経』恕可成德范忠宣公の親族に子弟の公に教へを請ふ有り。人曰く「唯だ儉以て廉を助くべく、唯だ恕以て德を成すべし」と。其の人座隅に書して、終身佩服す。自ら平生自ら養ふこと重ぬる無く、肉は滋味を擇ばず粗糲なり。每に公より退けば、衣を短褐に易へ、率ね以て常と為す。少きより老に至るまで、小官より達官に至るまで、終始一の如し。
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『忍経』未嘗含怒范忠宣公永州に安置せられ、兒孫に課して書を誦せしめ、躬親ら教督し、常に夜分に至る。永州に在ること三年、怡然として自得す。或いは加ふるに橫逆を以てし、人の堪ふる能はざるも、公為に動かず、亦未だ嘗て怒りを後に含まざるなり。每に賓客に對して、唯だ聖賢の身を修め己を行ふを論じ、餘は醫藥方書に及ぶのみ、他事は一語も口に出さず。而して氣貌益ます康寧にして、中州に在りし時の如し。
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『忍経』謝罪敦睦・三斗の醇醋を吃し得て宰相と做る王沂公嘗て言ふ「三斗の醇醋を吃し得て、方に宰相と做り得」と。盡く言ふこころは事を忍受し得るなり。 趙清獻公の座右の銘に、待たば則ち甚ぞ、喜は他に任せよ、怎奈何せん、理會するを休めよ、と。人及ばざる有らば、情を以て恕すべし。意に非ずして相干すは、理を以て遣るべし。盛怒の中に忽ち人の簡に答ふるも、既に紙筆に形るれば、溢流して收め難し。 程子曰く「憤欲は忍ぶと忍ばざるとに、便ち德有ると德無きとを見る」と。 張思叔繹、僕夫を詬罷す。伊川曰く「何ぞ心を動かし性を忍ばざる」と。思叔慚ぢて謝す。
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