忍経 / 湣寒架橋
淮南孔旻,隱居篤行,終身不仕,美節甚高。嘗有竊其園中竹,旻湣其涉水冰寒,為架一小橋渡之。推此則其愛人可知。
新字:淮南孔旻,隠居篤行,終身不仕,美節甚高。嘗有窃其園中竹,旻湣其渉水冰寒,為架一小橋渡之。推此則其愛人可知。
書き下し
淮南の孔旻、隱居して篤行、終身仕へず、美節甚だ高し。嘗て其の園中の竹を竊む有り。旻其の水を涉りて冰寒なるを湣み、爲に一小橋を架けて之を渡す。此を推せば則ち其の人を愛すること知るべし。
現代語訳
淮南の孔旻(北宋の隠者)は、世を避けて暮らし行いを重んじ、生涯仕官せず、節操はきわめて高いものでした。あるとき、彼の庭の竹を盗む者がいました。孔旻はその者が川を歩いて渡るのは冷たくつらかろうと哀れんで、小さな橋を架けて渡れるようにしてやりました。このことから推しはかれば、彼が人をどれほど愛したかが分かります。
解説
北宋の隠者孔旻の逸話で、『宋史』隠逸伝に見える人物です。庭の竹を盗みに来る者が、冷たい川を渡ってくるのを哀れんで、橋を架けてやったと言います。盗みを咎めるより先に、盗む人の寒さに心を寄せたのです。ここまで来ると忍というより、人への慈しみそのものと言えます。もっとも、今日これをそのまま真似して盗みを助ければ、かえって問題を大きくするでしょう。学ぶべきは、腹の立つ相手にも、その人が置かれた事情や苦しさを想像する心のほうです。困らせてくる人にも、何か困っている事情があるのかもしれないと考えてみることから始められます。
この章句が説くこと
忍慈愛寛容隠逸恕
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