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囲炉夜話 / 自序・寒夜に爐を圍むは田家の樂しみ

寒夜圍爐,田家婦子之樂也。顧篝燈坐對,或默默然無一言,或嘻嘻然言非所宜言,皆無所謂樂,不將虛此良夜乎?余識字農人也。 歲晚務閑,家人聚處,相與燒煨山芋,心有所得,輒述諸口,命兒輩繕寫存之,題曰圍爐夜話。但其中皆隨得隨錄,語無倫次且意淺辭蕪,多非信心之論,特以課家人消永夜耳,不足為外人道也。 倘蒙有道君子惠而正之,則幸甚。 咸豐甲寅二月既望 王永彬書於橋西館之一經堂

新字:寒夜囲炉,田家婦子之楽也。顧篝灯坐対,或黙黙然無一言,或嘻嘻然言非所宜言,皆無所謂楽,不将虚此良夜乎?余識字農人也。 歳晩務閑,家人聚処,相与焼煨山芋,心有所得,輒述諸口,命児輩繕写存之,題曰囲炉夜話。但其中皆随得随録,語無倫次且意浅辞蕪,多非信心之論,特以課家人消永夜耳,不足為外人道也。 倘蒙有道君子恵而正之,則幸甚。 咸豊甲寅二月既望 王永彬書於橋西館之一経堂

書き下し

寒夜に爐を圍むは、田家の婦子の樂しみなり。顧ふに篝燈して坐對するも、或いは默默然として一言無く、或いは嘻嘻然として言ふ宜しき所に非ざるを言ふは、皆な樂しみと謂ふ所無し、將た此の良夜を虛しくせざらんや。余は字を識る農人なり。 歲晚れて務め閑に、家人聚まり處り、相與に山芋を燒煨し、心に得る所有れば、輒ち諸を口に述べ、兒輩に命じて繕寫して之を存せしめ、題して圍爐夜話と曰ふ。但だ其の中は皆な隨ひて得、隨ひて錄し、語に倫次無く且つ意淺く辭蕪れ、多くは信心の論に非ず、特だ以て家人に課して永夜を消すのみ、外人の為に道ふに足らざるなり。 倘し有道の君子の惠みて之を正すを蒙らば、則ち幸甚なり。 咸豐甲寅二月既望、王永彬、橋西館の一經堂に書す。

現代語訳

寒い夜に炉を囲むのは、農家の妻子の楽しみです。けれども灯りをともして向かい合って座っても、黙りこくって一言もなかったり、へらへらと言うべきでないことを言ったりするのでは、どれも楽しみとは言えず、このよい夜を無駄にしてしまうのではないでしょうか。私は字の読める農夫です。年の暮れで農事も暇になり、家の者が集まって、一緒に山芋を焼いて食べながら、心に思うところがあればそのつど口に出し、子どもたちに命じて清書して残させ、『囲炉夜話』と名づけました。ただ中身はどれも思いつくままに書き留めたもので、言葉に順序がなく、意味は浅く言葉は雑で、多くは自信のある論ではありません。ただ家の者に課して長い夜を過ごすためのもので、よその人に語るほどのものではありません。もし道を修めた君子が情けをかけて正してくださるなら、たいへん幸いです。咸豊甲寅(1854年)二月十六日、王永彬、橋西館の一経堂にて書く。

解説

著者の王永彬が、この書の成り立ちを語った自序です。冬の夜に炉を囲む家族の時間を、黙りこむのでも軽口に流すのでもなく、心に得たことを語り合う時間にしたいという願いから始まります。語ったことを子どもたちに書き取らせたのが本書で、著者は自らを字の読める農夫と称し、思いつくままの浅い言葉だと謙遜しています。題の囲炉夜話は、炉を囲んで夜に語る話という意味です。既望は陰暦十六日のことです。家族の団らんをただの雑談で終わらせず、生き方を伝え合う場にするという発想は、今日の食卓にもそのまま通じます。

この章句が説くこと

家訓家族団らん謙虚処世

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