忍経 / 雞肋不足以當尊拳
劉伶嘗醉,與俗人相忤。其人攘袂奮拳而往,伶曰:「雞肋不足以當尊拳。」其人笑而止。
新字:劉伶嘗酔,与俗人相忤。其人攘袂奮拳而往,伶曰:「鶏肋不足以当尊拳。」其人笑而止。
書き下し
劉伶嘗て醉ひて、俗人と相忤ふ。其の人袂を攘ひ拳を奮ひて往く。伶曰く、「雞肋は以て尊拳に當つるに足らず」と。其の人笑ひて止む。
現代語訳
劉伶(晋の竹林の七賢の一人)はあるとき酔って、俗人と言い争いになりました。相手は袖をまくり上げ、拳を振り上げて向かってきました。劉伶は「このニワトリのあばら骨のような体では、あなたの立派な拳を受けるには足りません」と言いました。相手は笑ってやめました。
解説
竹林の七賢の一人、劉伶の逸話で、『世説新語』の注などに見える話です。酒好きで知られた劉伶が、酔って人と争いになり、殴りかかられそうになりました。そこで自分の痩せた体を鶏のあばら骨にたとえ、相手の拳をほめてみせたのです。相手は毒気を抜かれて笑い、喧嘩はそこで終わりました。ここでの忍は、じっと耐えることではなく、笑いで場の熱を下げる知恵です。自分を低く置いて笑いに変えれば、相手も振り上げた拳の降ろしどころを見つけられます。言い争いがこじれそうなとき、勝ち負けの外に出る一言を探してみたくなる話です。
この章句が説くこと
忍劉伶機知不争処世
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