忍経 / 出胯下
韓信好帶長劍,市中有一少年辱之,曰:「君帶長劍,能殺人乎?若能殺人,可殺我也;若不能殺人,從我胯下過」。韓信遂屈身,從胯下過。漢高祖在為大將軍,信召市中少年,語之曰:「汝昔年欺我,今日可欺我乎?」少年乞命,信免其罪,與其一校官也。
新字:韓信好帯長剣,市中有一少年辱之,曰:「君帯長剣,能殺人乎?若能殺人,可殺我也;若不能殺人,従我胯下過」。韓信遂屈身,従胯下過。漢高祖在為大将軍,信召市中少年,語之曰:「汝昔年欺我,今日可欺我乎?」少年乞命,信免其罪,与其一校官也。
書き下し
韓信は好んで長劍を帶ぶ。市中に一少年有りて之を辱めて曰く、「君長劍を帶ぶ、能く人を殺すか。若し能く人を殺さば、我を殺すべし。若し人を殺すこと能はずんば、我が胯下より過ぎよ」と。韓信遂に身を屈し、胯下より過ぐ。漢の高祖在りて大將軍と爲るに、信、市中の少年を召し、之に語りて曰く、「汝昔年我を欺る、今日我を欺るべきか」と。少年命を乞ふ。信其の罪を免じ、之に一校官を與ふるなり。
現代語訳
韓信はいつも長い剣を帯びていました。町の中で一人の若者が彼を辱めて言いました。「あんたは長い剣を帯びているが、人を殺せるのか。殺せるなら俺を殺してみろ。殺せないなら、俺の股の下をくぐれ」。韓信はそこで身をかがめ、股の下をくぐりました。のちに漢の高祖のもとで大将軍となったとき、韓信は町のあの若者を呼び出して「お前は昔、私を侮った。今日も私を侮れるか」と言いました。若者が命乞いをすると、韓信はその罪を許し、校官(下級の武官)の職を一つ与えました。
解説
漢の建国に大きな功を立てた韓信の、有名な股くぐりの話です。『史記』淮陰侯列伝に見え、序でも張良の履拾いと並べて忍の手本として挙げられています。無頼の若者に挑発されたとき、韓信は剣を抜けば罪人になり、抜かなければ臆病者と笑われる立場にありました。彼は笑われるほうを選び、後に大将軍となってから、その若者を罰さずに職まで与えています。目の前の屈辱に命や将来を賭けない判断が、ここでの忍です。挑発に乗って一時の面目を取るか、長い目で見て自分の道を守るか、選ぶ場面は今日でも少なくありません。
この章句が説くこと
忍韓信屈辱大志処世
関連する章句
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史記 淮陰侯列伝淮陰侯韓信は、淮陰の人なり。始め布衣為りし時、貧にして行無し。信城下に釣す。諸母漂す。一母の信の饑うるを見て、信に飯し、竟に漂すること数十日なる有り。信喜び、漂母に謂ひて曰く、「吾必ず以て母に重報する有らん」と。母怒りて曰く、「大丈夫自ら食する能はず、吾王孫を哀れみて食を進む、豈に報を望まんや」と。淮陰の屠中の少年に信を侮る者有りて曰く、「若長大なりと雖も、好んで刀剣を帯ぶるも、中情は怯なるのみ」と。衆之を辱めて曰く、「信、死する能はば、我を刺せ、死する能はずんば、我が袴下を出でよ」と。是に於いて信孰々之を視、俛して袴下を出で、蒲伏す。一市の人皆信を笑ひ、以て怯と為す。
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『忍経』圯上取履張良亡げ匿れ、嘗て從容として下邳に遊ぶ。圯上に一老父有り、褐を衣る。良の所に至り、直ちに其の履を圯上に墜す。顧みて良に謂ひて曰く、「孺子、下りて履を取れ」と。良愕然とし、強ひて忍び、下りて履を取り、因りて跪きて進む。父足を以て之を受け、曰く、「孺子教ふべし」と。
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『忍経』尿寒灰韓安國、梁の內史と爲り、法に坐して獄中に在り、獄吏田甲に之を辱めらる。安國曰く、「寒灰も亦た燃ゆること有りや否や」と。田甲曰く、「寒灰倘し然えば、我即ち其の上に尿せん」と。後に於いて、安國釋放せらるるを得、梁州刺史に任ぜられ、田甲驚きて走る。安國曰く、「若し走らば、九族之を誅せん。若し走らずんば、其の罪を赦さん」と。田甲遂に安國に見ゆ。安國曰く、「寒灰今日燃ゆ、汝何ぞ其の上に尿せざる」と。田甲惶懼す。安國其の罪を赦し、又た田甲に亭尉の官を與ふ。
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『忍経』序・忍は胸中博閎の器局忍は乃ち胸中博閎の器局にして、仁者の事爲り、惟だ寬恕の二字のみ能く之を行ふ。顏子云ふ「犯されて校せず」と、《書》に云ふ「容るること有れば德乃ち大なり」と、皆な忍の謂なり。韓信は胯下に忍びて、卒に登壇の拜を受け、張良は履を取るに忍びて、終に封侯の榮有り。忍の義爲る、大なるかな。惟だ其れ能く忍べば則ち涵養定力有り、觸れ來るも競ふこと無く、事過ぎて化し、一に寬恕を以て之を行ふ。官に當りては暴怒を以て戒と爲し、家に居りては謙和を以て自ら持す。暴慢其の心に萌さず、是非人に形はさず。善を好みて勢を忘れ、方便心に存し、之を行ひて純熟すれば、日に無過の地を踐むべし、聖賢を去ること又た何ぞ遠からんや。苟し或いは然らずんば、喜怒に任せ、愛憎を分ち、人の非を捃拾し、動もすれば峻にして色を亂す。干すに非意を以てする者は、未だ必ずしも能く理を以て遣らず、倉卒に遇ふ者は、未だ必ずしも氣勝に入らずんばあらず。之を偏淺に失はざれば、則ち之を躁急に失ひ、自ら處するに暇あらず、何の暇ありてか事を治めん。將に恐らくは衆怨身に叢り、咎焉より大なるは莫からん。其の呂蒙正の姓名を問はざると、張公藝の九世同居するとを視て、寧ぞ愧ぢざらんや。愚、暇に因りて經史の語句を類集し、名づけて《忍經》と曰ふ。凡そ我が同志、一たび寓目する間に、能く寬恕に由りて此の忍を充たし、由りて仁に至る有らば、豈に小補ならんや。 大德十年丙午閏月朔、古杭の蟾心吳亮序す。
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『忍経』德量過人韓魏公相州に鎮たり。祀に因りて宣省に宿す。偷兒有り、室に入り、刃を挺して曰く、「自ら濟ふこと能はず、濟ひを公に求む」と。公曰く、「几上の器具、百千に直すべし、盡く以て汝に與へん」と。偷兒曰く、「願はくは公の首を得て以て西人に獻ぜん」と。公即ち頸を引く。偷兒稽首して曰く、「公の德量人に過ぐるを以て、故に來りて相試みる。几上の物は已に公の賜を荷ふ、願はくは泄らすこと無かれ」と。公曰く、「諾」と。終に以て人に告げず。其の後、盜を爲す者他事を以て罪に坐し、當に死すべし。市中に於いて備さに其の事を言ひて曰く、「吾が死後を慮り、公の德の世に傳はらざるを惜しむ」と。
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『忍経』受之未嘗行色韓魏公、因りて君子小人の際を諭して、皆な高く誠を以て之を待つ。但だ其の小人為るを知れば、則ち淺く之と接するのみ。凡そ人の小人の己を欺く處に於けるや、覺れば必ず其の明を露はして以て之を破る。公は獨り然らず。明は以て小人の欺きを明らかにするに足るも、然も每に之を受けて、未だ嘗て色に形さざるなり。