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忍経 / 罵殊自若

狄武襄公為真定副帥,一日,宴劉威敏,有劉易者亦與坐。易素疏悍,見優人以儒為戲,乃勃然曰:「黥卒乃敢職此。」詬罵武襄不絕口,擲樽俎而起,武襄殊自若不少動,笑語愈溫。易歸,方自悔,則武襄已踵門求謝。

新字:狄武襄公為真定副帥,一日,宴劉威敏,有劉易者亦与坐。易素疏悍,見優人以儒為戯,乃勃然曰:「黥卒乃敢職此。」詬罵武襄不絶口,擲樽俎而起,武襄殊自若不少動,笑語愈温。易帰,方自悔,則武襄已踵門求謝。

書き下し

狄武襄公、真定の副帥爲り。一日、劉威敏を宴す。劉易なる者有りて亦た坐に與る。易は素より疏悍なり。優人の儒を以て戲を爲すを見て、乃ち勃然として曰く、「黥卒乃ち敢て此を職とするか」と。武襄を詬罵して口を絕たず、樽俎を擲ちて起つ。武襄殊に自若として少しも動かず、笑語愈々溫かなり。易歸りて、方に自ら悔ゆ。則ち武襄已に門に踵りて謝を求む。

現代語訳

狄武襄公(北宋の将軍狄青)が真定府の副帥であったとき、ある日、劉威敏を招いて宴を開きました。劉易という者も同席していました。劉易はもともと粗野で気性の荒い人でした。役者が儒者をからかう芝居をするのを見ると、にわかに怒って「入れ墨の兵卒上がりが、よくもこんな真似をさせるものだ」と言い、狄青を罵り続けて、酒樽や器を投げつけて席を立ちました。狄青は少しも動じず、笑いながらの言葉はいっそう穏やかでした。劉易は帰ってから、ようやく自分の振る舞いを悔やみましたが、そのときにはもう狄青のほうが彼の家の門を訪ねて謝りに来ていました。

解説

北宋の名将狄青の逸話です。狄青は兵卒から身を起こし、当時の兵の習いで顔に入れ墨をしていたことで知られます。宴席で儒者をからかう芝居が演じられたとき、同席の劉易はそれを狄青の差し金とみて、入れ墨の兵卒上がりと出自をあざけり、器を投げつけて席を立ちました。狄青は顔色一つ変えず、劉易が悔やむより先に、自分から謝りに出向いたのです。出自への侮辱は人の心を深く傷つけるものですが、狄青はそこで張り合わず、場を損ねたことを自分の責任として引き受けました。もちろん、出自を理由にした侮辱が許されるわけではありません。ただ、激しい言葉を向けられたときに自分から歩み寄る強さは、相手の悔いを和らげ、関係を取り戻す力になります。

この章句が説くこと

狄青侮辱歩み寄り度量

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