忍経 / 羹汙朝衣
劉寬仁恕,雖倉卒未嘗疾言劇色。夫人欲試之,趁朝裝畢,使婢捧內羹翻汙朝衣。寬神色不變,徐曰婢曰:「羹爛汝手耶?」
新字:劉寛仁恕,雖倉卒未嘗疾言劇色。夫人欲試之,趁朝装畢,使婢捧内羹翻汚朝衣。寛神色不変,徐曰婢曰:「羹爛汝手耶?」
書き下し
劉寬は仁恕にして、倉卒と雖も未だ嘗て疾言劇色せず。夫人之を試みんと欲し、朝裝畢るを趁ひ、婢をして羹を捧げて內れしめ、翻して朝衣を汙さしむ。寬神色變ぜず、徐ろに婢に曰ひて曰く、「羹汝の手を爛せるか」と。
現代語訳
劉寛(後漢の人)は思いやりが深く、とっさの時でも早口でまくしたてたり、顔色を激しく変えたりしたことがありませんでした。夫人がそれを試そうとして、朝廷に出る装いが整ったところを見計らい、侍女に吸い物を運ばせてわざとひっくり返し、朝服を汚させました。劉寛は顔色一つ変えず、ゆっくりと侍女に「吸い物で手をやけどしなかったか」と言いました。
解説
後漢の劉寛の逸話で、『後漢書』劉寛伝に見える話です。夫人が夫の寛容さを試そうと、出仕の直前に侍女にわざと朝服を汚させました。劉寛は怒るどころか、まず侍女の手を気遣いました。汚れた服より目の前の人の痛みに目が向くところに、この人の仁恕の深さが表れています。劉寛は部下を罰するときも、蒲の鞭で恥を知らせる程度にとどめたと伝えられます。失敗が起きた瞬間に最初に口から出る言葉は、その人の本心をよく映します。物の損失より人の無事を先に問えるかどうか、日頃の心がけが試される場面です。
この章句が説くこと
忍仁恕劉寛気遣い寛容
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