忍経 / 総論・上善は水の若し
《老子》曰:「知其雄,守其雌;知其白,守其黑。」又曰:「大直若屈,大智若拙,大辯若訥。」又曰:「上善若水,水善利萬物而不爭。」又曰:「天道不爭而善勝,不言而善應。」 荀子曰:「傷人之言,深於矛戟。」 藺相如曰:「兩虎共鬥,勢不俱生。」 晉王玠嘗云:「人有不及,可以情恕。」又曰:「非意相干,可以理譴,終身無喜悒之色。」
新字:《老子》曰:「知其雄,守其雌;知其白,守其黒。」又曰:「大直若屈,大智若拙,大弁若訥。」又曰:「上善若水,水善利万物而不争。」又曰:「天道不争而善勝,不言而善応。」 荀子曰:「傷人之言,深於矛戟。」 藺相如曰:「両虎共鬥,勢不倶生。」 晋王玠嘗云:「人有不及,可以情恕。」又曰:「非意相干,可以理譴,終身無喜悒之色。」
書き下し
《老子》に曰く、「其の雄を知りて、其の雌を守り、其の白を知りて、其の黑を守る」と。又た曰く、「大直は屈するが若く、大智は拙なるが若く、大辯は訥なるが若し」と。又た曰く、「上善は水の若し、水は善く萬物を利して爭はず」と。又た曰く、「天の道は爭はずして善く勝ち、言はずして善く應ず」と。 荀子曰く、「人を傷つくるの言は、矛戟よりも深し」と。 藺相如曰く、「兩虎共に鬥へば、勢ひ俱には生きず」と。 晉の王玠嘗て云ふ、「人及ばざること有らば、情を以て恕すべし」と。又た曰く、「非意もて相干さば、理を以て譴(遣)るべし」と、終身喜悒の色無し。
現代語訳
『老子』に「雄の強さを知りながら雌の柔らかさを守り、白の明るさを知りながら黒の暗さを守る」とあります。また「本当にまっすぐなものは曲がっているように見え、大きな知恵は拙く見え、優れた弁舌は口下手に見える」とも、「最上の善は水のようだ。水は万物をよく潤して争わない」とも、「天の道は争わずによく勝ち、語らずによく応える」ともあります。 荀子は「人を傷つける言葉は、矛や戟よりも深く刺さる」と言いました。 藺相如は「二頭の虎が戦えば、どちらも生き残れない」と言いました。 晋の王玠はかつて「人に至らないところがあれば、情をもって許すべきだ」と言いました。また「思いがけない仕打ちを受けても、道理で気持ちを収めればよい」と言い、生涯、喜びや憂いを顔に出すことがありませんでした。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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老子・第8章上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。居は地を善しとし、心は淵を善しとし、与は仁を善しとし、言は信を善しとし、正は治を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす。夫れ唯だ争わず、故に尤め無し。
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文子・道原天下に柔弱なるは水に莫し。水は道為り。広きこと極む可からず、深きこと測る可からず、長きこと極まり無く、遠く淪んで涯無し。息耗減益は不訾に過ぐ。上は天に雨露と為り、下は地に潤沢と為り、万物生ぜざるを得ず、百事成らざるを得ず。大いに群生を苞みて私好無く、沢は蚑蟯に及びて報を求めず。天下を富贍して既きず、徳を百姓に施して費えず。行くこと得て窮極す可からず、微なること得て把握す可からず。之を撃てども創つかず、刺せども傷つかず、斬れども断たれず、灼けども熏えず。淖約流循して靡散す可からず。利は金石を貫き、強は天下に淪む。余り有り不足あるは、天下の取与に任せ、万物を稟受して先後する所無し。私無く公無く、天地と洪同す。是を至徳と謂う。夫れ水の能く其の至徳を成す所以は、其の卓約潤滑なるを以てなり。故に曰く、「天下の至柔、天下の至堅を馳騁し、無有、無間に入る」と。夫れ無形は物の太祖、無音は類の太宗、真人は霊府に通じ、造化と人為り、玄徳を心に執りて、化の馳すること神の如し。是の故に不道の道は、芒として大なるかな。未だ号令を発せずして風を移し俗を易うるは、其れ唯だ心行なり。
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『忍経』総論・君子は以て忿を懲らし欲を窒ぐ《易・損卦》に云ふ、「君子は以て忿を懲らし欲を窒ぐ」と。 《書》に周公、周王を戒めて曰く、「小人汝を怨み汝を罟(詈)らば、則ち皇いに自ら德を敬め」と。又た曰く、「啻に敢て怒りを含まざるのみならず」と。又た曰く、「其の心を寬綽にせよ」と。成王、君陳に告げて曰く、「必ず忍ぶこと有りて、其れ乃ち濟すこと有り。容るること有りて、德乃ち大なり」と。 《左傳》宣公十五年に、「諺に曰く、『高下は心に在り、川澤は汙を納れ、山藪は疾を藏し、瑾瑜は瑕を匿す、國君の垢を含むは、天の道なり』」と。昭公元年に、「魯は相忍ぶを以て國を爲むるなり」と。
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『忍経』総論・小忍ばざれば則ち大謀を亂る哀公二十七年に、「知伯、南里の門に入り、趙孟に之に入れと謂ふ。對へて曰く、『主此に在り』と。知伯曰く、『惡にして勇無し、何を以て子と爲さん』と。對へて曰く、『能く恥を忍ぶを以てなり、庶はくは趙宗を害すること無からんか』」と。 楚の莊王、鄭を伐つ。鄭伯、肉袒して羊を牽き以て迎ふ。莊王曰く、「其の君能く人に下る、必ず能く其の民を信用せん」と。 《左傳》に、「一慚を忍ばずして、終身慚ぢんか」と。 《論語》に、孔子曰く、「小忍ばざれば、則ち大謀を亂る」と。又た曰く、「一朝の忿に、其の身を忘れて以て其の親に及ぼすは、惑ひに非ずや」と。又た曰く、「君子は爭ふ所無し」と。又た曰く、「君子は矜にして爭はず」と。曾子は犯されて校せず。子路を戒めて曰く、「齒は剛なれば則ち折れ、舌は柔なれば則ち存す。柔は必ず剛に勝ち、弱は必ず強に勝つ。鬥を好めば必ず傷つき、勇を好めば必ず亡ぶ。百行の本、忍を之れ上と爲す」と。
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文子・道原老子曰く、夫れ道を得る者は、志弱くして事強く、心虚にして応当たる。志弱きとは、柔毳安静にして、取らざるに蔵し、能わざるに行い、澹然として無為、動いて時を失わず。故に「貴は必ず賤を以て本と為し、高は必ず下を以て基と為す」。小に託して以て大を包み、中に在りて以て外を制し、柔を行いて剛、力として勝たざる無く敵として陵がざる無し。化に応じ時を揆り、能く之を害する莫し。剛ならんと欲する者は必ず柔を以て之を守り、強ならんと欲する者は必ず弱を以て之を保つ。柔を積めば即ち剛、弱を積めば即ち強。其の積む所を観て、以て存亡を知る。強は己に若かざる者に勝つも、己に若く者に至りて格う。柔は己に出ずる者に勝ち、其の力量る可からず。故に「兵強ければ則ち滅び、木強ければ則ち折る」。革強ければ則ち裂け、歯は舌より堅くして先に斃る。故に「柔弱は生の幹、堅強は死の徒」。先に唱うるは窮の路、後に動くは達の原。夫れ道を執りて以て変に耦えば、先も亦た後を制し、後も亦た先を制す。何ぞや。人を制する所以を失わざれば、人も亦た制する能わざるなり。所謂後とは、其の数を調え其の時に合わすなり。時の変則、間息を容れず。之に先んずれば太だ過ぎ、之に後るれば及ばず。日廻り月周り、時は人と游ばず。故に聖人は尺の璧を貴ばずして寸の陰を貴ぶ。時は得難くして失い易し。故に聖人は時に随いて事を挙げ、資に因りて功を立て、清道を守り、雌節を拘え、因循して変に応じ、常に後にして先にせず、柔弱以て静、安徐以て定、大堅固も与に争う能わず。
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『淮南子』原道訓天下の物、水より柔弱なるは莫し。然れども大なること極む可からず、深きこと測る可からず、修きこと無窮に極まり、遠きこと無涯に淪む。息耗減益、不訾に通ず。天に上れば則ち雨露と為り、地に下れば則ち潤澤と為る。萬物得ずんば生ぜず、百事得ずんば成らず。大いに群生を包みて好憎無く、澤は蚑蟯に及びて報を求めず、富は天下を贍して既きず、德は百姓に施して費えず。行きて窮極を得可からざるなり、微にして把握を得可からざるなり。之を擊つも創無く、之を刺すも傷つかず、之を斬るも斷たれず、之を焚くも然えず。淖溺流遁、錯繆相い紛れて靡散す可からず。利は金石を貫き、強は天下を濟い、無形の域に動溶して、忽區の上に翱翔し、川谷の間に邅回して、大荒の野に滔騰す。餘り有り足らず、天地と取與し、萬物に授けて前後する所無し。是の故に私する所無くして公する所無し。靡濫振蕩、天地と鴻洞たり。左する所無くして右する所無し。蟠委錯紾、萬物と始終す。是を至德と謂う。夫れ水の能く其の至德を天下に成す所以の者は、其の淖溺潤滑なるを以てなり。故に老聃の言に曰く、天下の至柔は、天下の至堅に馳騁す。無有より出でて、無間に入る。吾是を以て無為の益有るを知る、と。夫れ無形なる者は、物の大祖なり。無音なる者は、聲の大宗なり。其の子は光と為り、其の孫は水と為る。皆な無形より生ずるか。夫れ光は見る可くして握る可からず、水は循う可くして毀つ可からず。故に像有るの類、水より尊きは莫し。