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無門関 / 習菴序

說道無門。盡大地人得入。說道有門。無阿師分。第一強添幾箇注腳。大似笠上頂笠。硬要習翁贊揚。又是乾竹絞汁。著得這些哮本。不消習翁一擲。一擲莫教一滴落江湖。千里烏騅追不得。紹定改元七月晦。習菴陳寫。

新字:説道無門。尽大地人得入。説道有門。無阿師分。第一強添幾箇注脚。大似笠上頂笠。硬要習翁賛揚。又是乾竹絞汁。著得這些哮本。不消習翁一擲。一擲莫教一滴落江湖。千里烏騅追不得。紹定改元七月晦。習菴陳写。

書き下し

道に門無しと説けば、尽大地の人得て入らん。道に門有りと説けば、阿師の分無し。第一に強いて幾箇の注脚を添う、大いに笠上に笠を頂くに似たり。硬いて習翁の賛揚を要む、又た是れ乾竹に汁を絞るなり。這些の哮本を著け得たり、習翁の一擲を消いず。一擲して一滴をも江湖に落とさしむること莫かれ。千里の烏騅も追い得ず。紹定改元七月晦、習菴陳写す。

現代語訳

道には門が無いと説けば、大地のあらゆる人が入ることができる。道には門が有ると説けば、この和尚(無門慧開)の出る幕は無い。第一に、無理にいくつも注釈を添えたのは、笠の上にさらに笠をかぶるようなものだ。そのうえ無理に習翁(習菴、この序の筆者である南宋の官人陳氏)に褒め言葉を求めるのは、乾いた竹から汁を絞るようなものだ。こんな騒がしい本をこしらえてしまったが、習翁がひと投げして捨てるまでもない。投げ捨てるなら、一滴たりとも江湖(世間)にこぼしてはならない。こぼれたが最後、千里を駆ける烏騅(項羽の名馬)でも追いつけない。紹定元年(1228年)七月の晦日、習菴陳が書く。

解説

『無門関』の巻頭に置かれた習菴の序である。序でありながら褒めない。道に門が無いなら誰でも入れるし、門が有るなら無門の出番は無い、と書名そのものを初めから突き崩す。注釈を添えるのは笠の上の笠、自分に賛辞を求めるのは乾いた竹を絞るようなもの、と本を作ったこと自体を皮肉る。最後の「一滴も江湖に落とすな、千里の烏騅も追えない」は、世に出た言葉は取り返しがつかないという警告であり、同時にこの本が広まる力への逆説的な賛辞でもある。禅の序文は、読む前から読者の期待をはぐらかす。組織でも、手順書やマニュアルを増やすほど本物の理解から遠ざかることがある。言葉を足す前に、その言葉が笠の上の笠になっていないかを問う序である。

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