夢中問答集 / 『夢中問答集』善根を諫める声への答え
さのみ御善根に心をかたぶけ給ふことをいさめ申す人も、若かやうの謂れならば、實に殊勝の忠言なり。若したゞ世俗を重くし、佛法を輕くする故に、かくのごとく申されば偏に是れ魔心なり。人界に生をうくる人貴賤ことなりと云へども、皆な是れ前世の五戒十善の熏力なり。其の中に福分も人に勝れ、威勢も世に超へ給へる人は、前世に五戒十善戒をよく持ちて、其の上に諸の善根を作し給へる故なり。今我が朝の武將として萬人に仰がれ給へることは、偏に是れ宿善のいたすところなり。しかれども猶も世の中に敵對申す人もあり、御家人と號して奉公する人の中にも、仰に隨つて私をかへりみざる人はまれなり。かやうのありさまを見奉る時は、前世の善因の猶も不足におはしましけるよとおぼしきに贖へ、今生の修善のすぎ給へる由を申されんや。元弘以來の御罪業と其中の御善根とをたくらへば何れをか多しとせんや。此の間も御敵とてほろぼされたる人幾何ぞ、其の跡にのこり留りて、らうろしたる妻子眷屬の思ひは何くへかまかるべき御敵のみにあらず御方とて、合戰して死たるも、皆な御罪業となるべし。其の子は死して父はのこり、其の父は死て子は存せるもあり。さやうの歎きある者數をしらず。せめて其の忠によりて、恩賞を行はれたらば、なぐさむ方もあるべきに、其身大名にもあらず、强緣ももたぬ人をば御耳に入るゝ人もなければ、訴訟も達せず。其の面々の恨みも謝しがたし、今も連々に目出たきことのあると聞ゆるは、御敵の多くほろびて罪業のかさなる事なり。都鄙の間に神社佛寺旅宿人家、或は破損し、或は燒亡せる事幾何ぞ。寺社の舊領本所の御領、或は兵粮にとられ、或は領所となれる故に、社頭の祭禮もなきがごとく、寺院の勤行もすたれたり、武士ならぬ人は、所領あれ共、知行し給ふことかなはず、宿所をだにおしとられて、たちよる方もなき人も多し、仁義の德政はいまだ行はれず。貴賤の愁歎はいよ〱かさなる世上の靜謐せぬことの偏に是れ此の故なり。何ぞ御心を善根にかたぶけ給ふことの故ならんや。あはれげに御意のごとく諸人も一同に心を善根にかたぶけ給はゞ、此の世界やがて淨土にも成ぬべし。況やおさまることなからんや。昔より國王大臣として、天下を統領しまします人、佛法を信敬し給へること、異國本朝すくなからず。其の中に或は世法を成就せんために、佛法をあがめ給へる人あり、或は佛法を興行せんために、世法をつかさどり給へる人もあり。
新字:さのみ御善根に心をかたぶけ給ふことをいさめ申す人も、若かやうの謂れならば、実に殊勝の忠言なり。若したゞ世俗を重くし、仏法を軽くする故に、かくのごとく申されば偏に是れ魔心なり。人界に生をうくる人貴賤ことなりと云へども、皆な是れ前世の五戒十善の熏力なり。其の中に福分も人に勝れ、威勢も世に超へ給へる人は、前世に五戒十善戒をよく持ちて、其の上に諸の善根を作し給へる故なり。今我が朝の武将として万人に仰がれ給へることは、偏に是れ宿善のいたすところなり。しかれども猶も世の中に敵対申す人もあり、御家人と号して奉公する人の中にも、仰に随つて私をかへりみざる人はまれなり。かやうのありさまを見奉る時は、前世の善因の猶も不足におはしましけるよとおぼしきに贖へ、今生の修善のすぎ給へる由を申されんや。元弘以来の御罪業と其中の御善根とをたくらへば何れをか多しとせんや。此の間も御敵とてほろぼされたる人幾何ぞ、其の跡にのこり留りて、らうろしたる妻子眷属の思ひは何くへかまかるべき御敵のみにあらず御方とて、合戦して死たるも、皆な御罪業となるべし。其の子は死して父はのこり、其の父は死て子は存せるもあり。さやうの嘆きある者数をしらず。せめて其の忠によりて、恩賞を行はれたらば、なぐさむ方もあるべきに、其身大名にもあらず、強縁ももたぬ人をば御耳に入るゝ人もなければ、訴訟も達せず。其の面々の恨みも謝しがたし、今も連々に目出たきことのあると聞ゆるは、御敵の多くほろびて罪業のかさなる事なり。都鄙の間に神社仏寺旅宿人家、或は破損し、或は焼亡せる事幾何ぞ。寺社の旧領本所の御領、或は兵粮にとられ、或は領所となれる故に、社頭の祭礼もなきがごとく、寺院の勤行もすたれたり、武士ならぬ人は、所領あれ共、知行し給ふことかなはず、宿所をだにおしとられて、たちよる方もなき人も多し、仁義の徳政はいまだ行はれず。貴賤の愁嘆はいよ〱かさなる世上の静謐せぬことの偏に是れ此の故なり。何ぞ御心を善根にかたぶけ給ふことの故ならんや。あはれげに御意のごとく諸人も一同に心を善根にかたぶけ給はゞ、此の世界やがて浄土にも成ぬべし。況やおさまることなからんや。昔より国王大臣として、天下を統領しまします人、仏法を信敬し給へること、異国本朝すくなからず。其の中に或は世法を成就せんために、仏法をあがめ給へる人あり、或は仏法を興行せんために、世法をつかさどり給へる人もあり。
書き下し
さのみ御善根に心をかたぶけ給ふことをいさめ申す人も、若かやうの謂れならば、實に殊勝の忠言なり。若したゞ世俗を重くし、佛法を輕くする故に、かくのごとく申されば偏に是れ魔心なり。人界に生をうくる人貴賤ことなりと云へども、皆な是れ前世の五戒十善の熏力なり。其の中に福分も人に勝れ、威勢も世に超へ給へる人は、前世に五戒十善戒をよく持ちて、其の上に諸の善根を作し給へる故なり。今我が朝の武將として萬人に仰がれ給へることは、偏に是れ宿善のいたすところなり。しかれども猶も世の中に敵對申す人もあり、御家人と號して奉公する人の中にも、仰に隨つて私をかへりみざる人はまれなり。かやうのありさまを見奉る時は、前世の善因の猶も不足におはしましけるよとおぼしきに贖へ、今生の修善のすぎ給へる由を申されんや。元弘以來の御罪業と其中の御善根とをたくらへば何れをか多しとせんや。此の間も御敵とてほろぼされたる人幾何ぞ、其の跡にのこり留りて、らうろしたる妻子眷屬の思ひは何くへかまかるべき御敵のみにあらず御方とて、合戰して死たるも、皆な御罪業となるべし。其の子は死して父はのこり、其の父は死て子は存せるもあり。さやうの歎きある者數をしらず。せめて其の忠によりて、恩賞を行はれたらば、なぐさむ方もあるべきに、其身大名にもあらず、强緣ももたぬ人をば御耳に入るゝ人もなければ、訴訟も達せず。其の面々の恨みも謝しがたし、今も連々に目出たきことのあると聞ゆるは、御敵の多くほろびて罪業のかさなる事なり。都鄙の間に神社佛寺旅宿人家、或は破損し、或は燒亡せる事幾何ぞ。寺社の舊領本所の御領、或は兵粮にとられ、或は領所となれる故に、社頭の祭禮もなきがごとく、寺院の勤行もすたれたり、武士ならぬ人は、所領あれ共、知行し給ふことかなはず、宿所をだにおしとられて、たちよる方もなき人も多し、仁義の德政はいまだ行はれず。貴賤の愁歎はいよ〱かさなる世上の靜謐せぬことの偏に是れ此の故なり。何ぞ御心を善根にかたぶけ給ふことの故ならんや。あはれげに御意のごとく諸人も一同に心を善根にかたぶけ給はゞ、此の世界やがて淨土にも成ぬべし。況やおさまることなからんや。昔より國王大臣として、天下を統領しまします人、佛法を信敬し給へること、異國本朝すくなからず。其の中に或は世法を成就せんために、佛法をあがめ給へる人あり、或は佛法を興行せんために、世法をつかさどり給へる人もあり。
現代語訳
さほど善根に心を傾けられることを諫め申す人も、もしこのようなわけで言うのなら、まことに殊勝な忠言である。もしただ世俗を重んじ、仏法を軽んじるためにこのように言うのなら、ひとえにこれは魔心である。人間界に生を受ける人は、身分の貴賤は異なるといっても、みな前世の五戒十善の熏習の力による。その中で福分も人に勝り、威勢も世に超えておられる人は、前世に五戒十善戒をよく保ち、そのうえ諸々の善根を作られたからである。今わが国の武将として万人に仰がれておられるのは、ひとえに宿善のいたすところである。しかしながら、なお世の中に敵対する人もあり、御家人と称して奉公する人の中にも、仰せに従って私心をかえりみない人はまれである。このようなありさまを拝見する時は、前世の善因がなお不足しておられたのかとお思いになるべきなのに、今生の修善が過ぎていると申せようか。元弘以来の御罪業と、その中の御善根とを比べれば、どちらが多いだろうか。この間にも、敵として滅ぼされた人はどれほどか。その跡に残って零落した妻子や眷属の思いは、どこへ行くのだろう。敵だけではない。味方として合戦して死んだ者も、みな御罪業となるであろう。その子は死んで父は残り、その父は死んで子は生きている者もある。そのような嘆きのある者は数知れない。せめてその忠によって恩賞が行われたなら、慰められるところもあるだろうに、その身が大名でもなく、強い縁故ももたない人は、お耳に入れてくれる人もないので、訴訟も届かない。それぞれの恨みも晴らしがたい。今も次々とめでたいことがあると聞こえるのは、敵が多く滅びて罪業が重なることである。都や田舎の間に、神社仏寺・旅宿・人家が、あるいは破損し、あるいは焼け失せたことはどれほどか。寺社の旧領や本所の領地が、あるいは兵粮として取られ、あるいは武士の領所となったので、社頭の祭礼もないに等しく、寺院の勤行も廃れた。武士でない人は、所領があっても支配することができず、宿所さえ押し取られて立ち寄る所もない人も多い。仁義の徳政はまだ行われず、貴賤の愁嘆はいよいよ重なる。世の中が静まらないのは、ひとえにこのためである。どうして御心を善根に傾けられることのせいであろうか。まことに仰せのとおり、人々も一同に心を善根に傾けるなら、この世界はそのまま浄土ともなるだろう。まして治まらないことがあろうか。昔から国王や大臣として天下を治められた人が、仏法を信じ敬われたことは、異国にも本朝にも少なくない。その中には、世法を成就するために仏法を崇められた人もあり、仏法を興すために世法をつかさどられた人もある。
解説

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二宮翁夜話・巻之五翁(おきな)曰(いわ)く、世人の常情(じょうじょう)、明日食ふべき物なき時は、他に借(かり)に行かんとか、救ひを乞(こ)はんとかする心はあれども、弥(いよいよ)明日は食ふべき物なしと云ふ時は、釜(かま)も膳椀(ぜんわん)も洗ふ心なし、と云へり、人情実に恐るべく尤(もっと)もの事なれども、此の心は困窮其の身を離れざるの根元なり、如何(いか)となれば、日々釜を洗ひ膳椀を洗ふは明日食はんが為にして、昨日迄用ひし恩の為に、洗ふにあらず、是(これ)心得違(ちが)ひなり、たとへ明日食ふべき物なしとも、釜を洗ひ膳も椀も洗ひ上げて餓死すべし、是今日迄用ひ来りて、命を繋(つな)ぎたる、恩あればなり、是恩を思ふの道なり、此の心ある者は天意に叶ふ故に長く富を離れざるべし、富と貧とは、遠き隔(へだて)あるにあらず、明日助からむ事のみを思ひて、今日までの恩を思はざると、明日助からむ事を思ふては、昨日迄の恩をも忘れざるとの二つのみ、是大切の道理なり、能々(よくよく)心得べし、仏家にては、此の世は仮(かり)の宿、来世こそ大切なれと教ゆ、来世の大切なるは、勿論なれど、今世を仮の宿として、軽んずるは誤(あやま)れり、今一草を以て之を譬(たと)へん、夫(それ)草となりては、来世の実の大切なるは、無論なりといへども、来世好(よ)き実を結ばんには、現世の草の時、芽立(めだち)より出精して、露を吸ひ肥(こやし)を吸ひ根を延し葉を開き、風雨を凌(しの)ぎ、昼夜精気を運びて根を太らせ、枝葉を茂(しげ)らせ、好き花を開く事を、丹精せざれば、来世好き実となる事を得ず、されば草の現世こそ大切なれ、人も其の如く、来世のよからん事を願はゞ、現世に於て邪念を断(た)ち身を慎(つつし)み道を蹈(ふ)み、善行を勤むるにあり、現世にて人の道を蹈まず、悪行をなしたる者いづくんぞ、来世安穏(あんのん)なる事を得んや、夫地獄(じごく)は悪事を為したる者の、死後に遣(や)らるゝ処、極楽(ごくらく)は善事を為したる者の行く処なる事、鏡に掛けて明らかなれば、来世の善悪は、現世の行ひにあり、故に現世を大切にして、過去を思ふべきなり、先(ま)づ此の身は如何にして生れ出でしやと、跡を振返りて見る是なり、論語にも、生を知らざれば焉(いずく)んぞ死を知らん、と云へり、夫性(せい)は天の令命なり、身体は父母の賜(たまもの)なり、其の元天地の令命と父母の丹精とに出づ、先づ此の理より窮(きわ)めて、天徳に報ひ、父母の恩に報ゆる行ひを立つべし、性に率(したが)ひて道を蹈むは、人の勤(つとめ)なり、此の勤を励む時は、来世は願はずして、安穏なる事疑ひなし、何ぞ現世を仮の宿と軽んじ、来世のみを大切とせんや、夫現在に君あり、父母あり妻子あり、是現世の大切なる所以(ゆえん)なり、釈氏(しゃくし)の之を捨てて、世外に立ちしは、衆生(しゅじょう)を済度(さいど)せんが為なり、世を救はんには、世外に立たざれば、広く救ひ難きが故なり、譬ば己が坐して居る畳を揚げんとする時は、己外に移らざれば、揚ぐべからざるが如くなればなり、然るに世間一身を善くせんが為に、君父妻子を捨つるは迷へるなり、然れども僧侶は其の法を伝へたる者なれば、世外の人なるが故に別なり、混ずべからず、是君子小人の別るゝ処にして、我が道の安心立命(あんじんりゅうめい)は爰(ここ)にあり、惑(まど)ふべからず。
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夢中問答集・『夢中問答集』仏法のために世法を興す世法のために佛法を信じ給ふ人も、惡王惡臣となりてすべて佛法を信ぜざる人よりは、まさり給へりといへ共、一身を保つて夢中の榮華にほこり、萬民を撫て、暫時の飢寒をまぬがれしめたるばかりにて、上下つひに輪廻をまぬがれざれば、三皇五帝の時も佛法流布の世ならねば、うらやむべきことにあらず然らば卽ち佛法のために世法を興行し、萬民を引導して同じく佛法に入らしめ給ふは、卽ち是在家の菩薩なり、本朝の聖德太子萬機の政をなしながら、其の中間に堂塔を造立し、佛像を安置し、經論を講說し、疏鈔を製作しまし〱き、是れ卽ち佛法のために世法を興し給へる模樣なり。十七箇條の憲法の始めに上下和睦歸敬三寳と載せ給へるも、政道を行ふ事は佛法のためなる由なり。さればにや御在生の時、一天四海政化になびきしのみに非ず、七百年の今にいたるまで、誰か彼の遺躅をあふがざる此の太子にそむき、奉りしは、たゞ守屋一人のみなり、つひに是をほろぼし給ひき、守屋はこれ執政の大臣なり。政道のため、他にことなる人なりきしかれども、太子の善根をなし給ふことをあながちに妨げ申しゝ故に、これを誅罰せらる其の旨趣御自筆の天王寺の記に載せられたり。異朝の梁の武帝侯景がために世を奪はれ給へることは、餘りに善根に心を傾けて政道をわすれ給ひし故なりとそしれる人あり、釋迦如來は淨飯王の太子として、王位をつぎ給ふべかりしを、遁れ出で雪山に入て飢寒の苦をうけ給ひしをば佛事に心をかたぶけて、王位の榮華を失ひ給へりとそしり奉らんや。梁の武帝も王位に居せしとて、度々遁れ出で給ひしを、臣下ども追ひかへし奉る。結句はかたくのがれ給はんとて、御身を賣て寺の奴となり給ひき、諸臣なをゆるし奉らず、御身の價を寺へかへして本のごとく王位につけ奉る。かの御意をさぐり奉るに、何ぞ侯景に世を奪はれ給ふことあさましと思ひ給はんや。今の御ありさまを見奉るに、釋迦如來、梁の武帝のごとく、一向に世間を捨て給ふ事はかなふべからず。たゞ聖德太子のごとく佛法のために世法を興行し給はゞ殊勝の御事なるべし。今度義兵をおこされしことは偏に佛法興行のためなりと承はりしかば、たとひ天下の人一同に妨げ申す共善心の破れ給ふ御事はあらじと存ずれども、かやうに申さるゝ人の魔心をもひるがへし給はゞ、一分の益もあるかとて種々の荒言に及べり。
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『十善法語』巻第二・不偸盜戒近世ノ道俗ヲ誘ヒ導ク者ハ。易キヨリ易キニ就テ。我宗門ノ中ニハ。過ヲ改メ悪ヲ止ルニハ及ヌト云。持戒禅定モ廃スヘシト云。識別有ン者ハ推察シ看ヨ。仏世賢聖在世ハ。諸天八部人非人道俗男女ミナ善ヨリ善ニ遷タコトシヤ。倶ニ分ニ随テ持戒修禅モ有タシヤ。人ニ良心アレハ善根ノ勤ラレヌト云コトハ有マシキソ。中古已来伶利ノ士カ世ニ随ヒ俗ニ応シテ人ヲ教化ス。其次ニ出ル者ハ。又世俗ニ順シ人情ニ就。ソノ次ニ出ル者更ニ世俗ニ順シ人情ニ就テ。遂ニ賢聖ノ正規則ヲ取失フ様ニナリ下リ。悪ヲ作シテ差ヌ様ニナリ下タコトシヤ。近古明恵上人ノ言ニ。今ノ諸宗ノ者ノ云通リカ仏法ナラハ。諸道ノ中ニ仏法ヨリワロキコトハナキト。此等ハ見タ処アル趣シヤ。