盲安杖 / 第九条・心を亡して心を育つべき事
心を亡して心を育てよ。明々たる心を蒙々たる心に掩て苦む事なかれ。時々に亡ぼせ古語に曰く殺生せよ殺生せよ刹那も殺生せざれは。地獄に入る事矢の如し、亦歌にさしいづる鋒先れよ物毎に己が心を金槌ゟして。偖如何樣にして金槌を用ゐべきとならバ。人間一生万事皆夢なり。一念の妄心永劫の苦因なりと。眼を着て南無阿彌陀佛と唱ふべし。是則ち金槌なり。一念彌陀佛即滅無量罪と說玉へり。されバ唯心の淨土己心の彌陀と云へり。我に在る彌陀佛を念じ出す事。難かるべきに非ず。若又信心強くして勇猛精進の心發て。晝夜間斷なく念佛せん人は。時節到來して終に己心の彌陀に相見し奉り。則ち唯心の淨土に安住をべし。極重惡人。無他方便。唯稱彌陀。得生極樂。此文疑ふべからず
新字:心を亡して心を育てよ。明々たる心を蒙々たる心に掩て苦む事なかれ。時々に亡ぼせ古語に曰く殺生せよ殺生せよ刹那も殺生せざれは。地獄に入る事矢の如し、亦歌にさしいづる鋒先れよ物毎に己が心を金槌ゟして。偖如何様にして金槌を用ゐべきとならバ。人間一生万事皆夢なり。一念の妄心永劫の苦因なりと。眼を着て南無阿弥陀仏と唱ふべし。是則ち金槌なり。一念弥陀仏即滅無量罪と説玉へり。されバ唯心の浄土己心の弥陀と云へり。我に在る弥陀仏を念じ出す事。難かるべきに非ず。若又信心強くして勇猛精進の心発て。昼夜間断なく念仏せん人は。時節到来して終に己心の弥陀に相見し奉り。則ち唯心の浄土に安住をべし。極重悪人。無他方便。唯称弥陀。得生極楽。此文疑ふべからず
書き下し
心を亡して心を育てよ。明々たる心を蒙々たる心に掩て苦む事なかれ。時々に亡ぼせ古語に曰く殺生せよ殺生せよ刹那も殺生せざれは。地獄に入る事矢の如し、亦歌にさしいづる鋒先れよ物毎に己が心を金槌よりして。偖如何様にして金槌を用ゐべきとならバ。人間一生万事皆夢なり。一念の妄心永劫の苦因なりと。眼を着て南無阿弥陀仏と唱ふべし。是則ち金槌なり。一念弥陀仏即滅無量罪と説玉へり。されバ唯心の浄土己心の弥陀と云へり。我に在る弥陀仏を念じ出す事。難かるべきに非ず。若又信心強くして勇猛精進の心発て。昼夜間断なく念仏せん人は。時節到来して終に己心の弥陀に相見し奉り。則ち唯心の浄土に安住をべし。極重悪人。無他方便。唯称弥陀。得生極楽。此文疑ふべからず
現代語訳
心を滅ぼして、心を育てなさい。明るくはっきりした心を、暗く蒙い心で覆って苦しんではなりません。折にふれて心を滅ぼしなさい。古語に「殺せよ、殺せよ。刹那も殺さなければ、地獄に入ることは矢のようである」とあります。また歌に「さし出づる鋒先ごとに物毎に己が心を金槌にして」とあります(現れ出る鋒先ごとに、そのつど己の心を金槌のようにして打つ)。では、どのようにして金槌を用いたらよいかといえば、人間の一生、万事はみな夢です。一念の妄心は永劫の苦しみの因となる。そう思って、眼をつけて南無阿弥陀仏と唱えなさい。これがすなわち金槌です。「一念の弥陀仏は無量の罪を滅する」と説かれています。ですから「唯心の浄土、己心の弥陀」といいます。自分にある弥陀仏を念じ出すことは、難しくないはずです。もしまた信心が強く、勇猛精進の心を起こして、昼夜絶え間なく念仏する人は、時節が到来して、ついに己心の弥陀にお目にかかり、唯心の浄土に安住するでしょう。「極めて重い悪人は、他の方便なく、ただ弥陀の名を称えて極楽に生まれることを得る」というこの文は疑ってはなりません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上是れは只今其方の心の輪廻するを以て知るべし。善念頓て悪念に成り、悪心も亦善心に成る也。天道より地獄に往き、地獄より天道に往く証拠是れ也。余の悪道を廻る事も如是。此念を離れて不生不滅なるを成仏と云ふ也。如是我と念根を修し尽して、成仏すること也。何として傍より其方の念を休めんや。强く眼を着け、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と命を限りにひた責めに責めて、念根を可尽すべし。総じて大なる悪、及ばさる望は休む物也、されとも兎角なにか有る物也。念根の切尽す事難し。然る間此糞袋を敵にし、念仏を以て申滅すへし。是れ念根を切る修行也。彼者云、然らば此身を離る事と心得て置くべきや。師呵して曰く、心得て置くは悪き也。仏道と云ふは心得て置く事に非す、身心を修し尽す事也。
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盲安杖・第七条・己を忘て己を守るべき事己を忘て己を忘れざれ。先づ生を貪り利を思ふ時ハ。親子兄弟を忘れて我が身を専とす。亦好む所に従ひてハ。己を忘れて恥をも顧ず。前後の事をも弁へず。身命の亡びん事をも知らず。浅ましき有様多し。かへす〲も己を忘るゝ事なかれ。仁の教に曰く。自を忘れ他を恵ミ。危きを救ひ窮るを助け。情けを先として憐む心有るを仁とすと云へり。然るに愚者ハ己と楽て人を忘るゝ故に。嗔貪邪見の心を専として悪業煩悩を離れず。日夜苦患休む時なし。心を着て守るべし。一心の中に仏あり。一心の中に鬼あり。一心の中に地獄。餓鬼。畜生。修羅。人天あり。経に曰く三界唯一心、心外無別法。心仏及衆生。是三無差別。と説き玉へり。されは此心を戒め善根を勤むる時ハ。仏果に至るなり。亦心を恣にする時ハ。三毒の心增長して三途地獄に落入るなり。たゞ心に従ふべからず。勤めて心を従ゆべし。必ず心の師となるべし。心を師とする事なかれ。心の鬼悪道に誘て入るべし。戒めても猶戒むべきハ心なり。恐れても猶恐るべし。某物語に曰く。人の数多大船おうちのりて大海を渡る時。海上に赤面の鬼額に眼一つ。日輪の如く光り輝ぎ。口ハ耳の根まで切れ。角三つ生て牙かミちがへて。其形云ふべき様なきもの。波の上を歩ミ来て。汝等我より恐しき物を見たりや〱と云ふ。是を見て船中の者ども。皆肝を消し船底に倒れ伏そ。其中に一人の道心者あり。進出て曰く。汝ハ愚なる者かな。汝等百千合せたるよりも恐しきれ。大地獄に我を誘てゆかんとそる我心の鬼あり。汝是を知るや〱と云へは。彼の化物消て失せにけりと云へり。実に身を思ふ心の中に。悪業の鬼あり。一切の苦患あり。八万四千の煩悩あり。拙きかなや。愚闇の我等が心の形を造出さんにれ。如何様の形なるべきや。早く万事を打捨て身を思ハぬ身と成るべし。歌に身を思ふ心ぞ身をは苦しむる身を思ハねは身こそ安けれ。又燃へ出る嗔恚のほむら消ゑやらで我と引けん火の車哉
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『驢鞍橋』卷上亦仏を信するにも二科有り、深く仏恩を信して、身命を抛ちて礼し奉り、業障を尽し、我を尽すは可也。仏を敬つて其代に仏に成らんと思ふは、輪廻の業也。亦念仏申すにも二科有り、念仏を申し仏に成らんと思ふは輪廻の業也。実には念仏を以て、一切の煩悩を申し消すを正理とす。其故は総して今仏に成る物にあらず、煩悩をさへ申し消せば本自ら仏也。然るに死して後仏に成らん抔と思ふは、皆死欲かわき也。尤も機に随つて死欲を以て、娑婆欲を奪ふ方便なきにあらず。死欲に生欲は替物なれとも輪廻の業と成る事は一つ也。悪き我を尽せとも、却て善き我を建立する也。兎角後能く成らんと思ふて勤むるは、皆輪廻の業也。然る間万事を放下して、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と息を引切り引切り常に死習ひて安楽に死ぬる外なし。只强く念仏すべし、沈み念仏申すべからす。総して强き機には病か付かぬ物也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る遁世者来て、修行の用心を問ふ。師示して曰く、万事を打置て唯死に習はるべし。常に死に習つて、死の隙を明け、誠に死する時、驚かぬやうにすべし。□て死に習はるべし。彼者云、盲安杖を常に披見仕る、是等を見る事も悪しや。師曰、見て覚ゆる事は皆怨也。只念仏を以て死を軽くすべし。
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『驢鞍橋』卷中然る間念仏を唱ふる人も、念仏を以て煩悩の病を退治すへき心有て、発る念にかまはず、ひた責にせめて念仏するは、即心成仏の念仏なるへし。安楽浄土の快楽を望み、来世を願ふ念仏は、輪廻の業增長なるへし。此の類は専ら死欲也。此の理を知て常に心強く夢中に忘れすして、日夜守りつめて身心を責扱き、無事の人となるを、鉄心肝とも云ひ、大丈夫の人とも解脱の人ともいふ也。是れ物に勝得たる人なり。此の人に何の生死かあり、何の煩悩かあらんや。此の心に至る也、煩悩即菩提。生死即涅槃也。去る間悟の前の是非は、ぜひ共に是也。迷の前の是非は、是非共に非也といへり。
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万民徳用・農人日用・答後半去れは此の身を一筋に天道に任せ奉り、かりにも身のためをおもはずして、正しく天道の奉公に農業をなし、五穀を作出して、仏陀神明を祭り、万民の命をたすけ、虫類等に至る迄施すべしと大誓願をなして、一鍬一鍬に南無阿弥陀仏なむあみた仏と唱へ、一鎌一鎌に住して、他念なく農業をなさんには、田畑も清浄の地となり、五穀も清浄食と成りて、食する人、煩悩を消滅するの薬なるへし。天道此の人を守護したまはざらんや。若し貪欲の心に住して、一大事を忘れて農業をなさしめは、田畑も不浄地となり、作出す五穀も不浄食たるへし。善悪共にかならず本にむくふの理を能くしるべし。三毒の心を恣にする人には、天道の加護なくして、念仏信心有りて、念々怠らす、勇猛堅固の心に住せざる則は、福消えて災難来る、万人にいやしめられ、現世の苦患隙なくして、未来永劫、悪道に堕在せん事、何ぞ恐れざらんや。夫れ人間の一生涯は、夢の中の夢なり。楽身にあまるとも、楽はつべきにあらず。偏に一大事の理を知て、後世菩提に思ひ入り、勇猛の念仏間断なく、一念の中に農業をなさは、覚ゑす誠の心極つて、離相離名の徳そなはり、大解脱大自在の人と成りて、尽未来際、極楽浄土の快楽を受くべき事、是れをよろこばざらんや。信得せよ信得せよ。
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