名将言行録 / 『名将言行録』豐臣秀吉 江雪齋の胆力
○秀吉、坂部岡江雪齋に、汝先年北條の使として上京し、約せし所忽ちに背て名胡桃の城を取ること、氏直の姦計にや、又汝が詐なるかと譴問はせらる〻に、直ぐに申んと答へしかば、秀吉大に怒り、手枷足枷を並べ、江雪齋を呼出し、刀を奪取り、左右の手を引張り、庭上に引据ゑて後、秀吉罵て曰く、汝が約せし所に背くこと、誠に惡むに餘りあり、且つ日本國の兵を動し、主君の國を滅せしこと、汝に於て快きやと譴めらる〻に、江雪、色をも變ぜず、氏直更に約に背くの心なく候、邊鄙の士、愚にて名胡桃を取り、終に弓箭に及びて、北條の家亡びたること、江雪が思慮如何ともすべき樣の候はず、誠に家の亡ぶべき運命にや候はん、去れども、日本國の兵を引受くること、北條家の面目なり、此外申すべきことなし、疾く首を刎られ候へと言ふ。秀吉、顏色打解けて、汝は京に引上せ磔に掛けんと思ひしに、大言を吐て主君を辱しめず、大丈夫と言ふべし、命を助けん、吾に仕へよとて赦されけり。是より岡とは名乘たり。
新字:○秀吉、坂部岡江雪斎に、汝先年北条の使として上京し、約せし所忽ちに背て名胡桃の城を取ること、氏直の姦計にや、又汝が詐なるかと譴問はせらる〻に、直ぐに申んと答へしかば、秀吉大に怒り、手枷足枷を並べ、江雪斎を呼出し、刀を奪取り、左右の手を引張り、庭上に引据ゑて後、秀吉罵て曰く、汝が約せし所に背くこと、誠に悪むに余りあり、且つ日本国の兵を動し、主君の国を滅せしこと、汝に於て快きやと譴めらる〻に、江雪、色をも変ぜず、氏直更に約に背くの心なく候、辺鄙の士、愚にて名胡桃を取り、終に弓箭に及びて、北条の家亡びたること、江雪が思慮如何ともすべき様の候はず、誠に家の亡ぶべき運命にや候はん、去れども、日本国の兵を引受くること、北条家の面目なり、此外申すべきことなし、疾く首を刎られ候へと言ふ。秀吉、顔色打解けて、汝は京に引上せ磔に掛けんと思ひしに、大言を吐て主君を辱しめず、大丈夫と言ふべし、命を助けん、吾に仕へよとて赦されけり。是より岡とは名乗たり。
書き下し
○秀吉、坂部岡江雪齋に、汝先年北條の使として上京し、約せし所忽ちに背て名胡桃の城を取ること、氏直の姦計にや、又汝が詐なるかと譴問はせらる〻に、直ぐに申んと答へしかば、秀吉大に怒り、手枷足枷を並べ、江雪齋を呼出し、刀を奪取り、左右の手を引張り、庭上に引据ゑて後、秀吉罵て曰く、汝が約せし所に背くこと、誠に惡むに餘りあり、且つ日本國の兵を動し、主君の國を滅せしこと、汝に於て快きやと譴めらる〻に、江雪、色をも變ぜず、氏直更に約に背くの心なく候、邊鄙の士、愚にて名胡桃を取り、終に弓箭に及びて、北條の家亡びたること、江雪が思慮如何ともすべき樣の候はず、誠に家の亡ぶべき運命にや候はん、去れども、日本國の兵を引受くること、北條家の面目なり、此外申すべきことなし、疾く首を刎られ候へと言ふ。秀吉、顏色打解けて、汝は京に引上せ磔に掛けんと思ひしに、大言を吐て主君を辱しめず、大丈夫と言ふべし、命を助けん、吾に仕へよとて赦されけり。是より岡とは名乘たり。
現代語訳
秀吉は、板部岡江雪斎に、お前は先年、北条の使者として上京し、約束したことをたちまち破って名胡桃の城を取ったのは、氏直の悪だくみか、またはお前の偽りか、と詰問されたが、江雪斎はすぐに申しましょうと答えたので、秀吉は大いに怒り、手枷足枷を並べて、江雪斎を呼び出し、刀を奪い取り、左右の手を引っ張って庭上に引き据えたあと、罵って言った。お前が約束したことを破ったのは、まことに憎むに余りあることである、かつ日本国の兵を動かして、主君の国を滅ぼしたことを、お前は快く思うのか、と責めたが、江雪は顔色も変えず、氏直には少しも約束にそむく心はございません、辺鄙の武士が、愚かにも名胡桃を取り、ついに戦となって、北条の家が滅びたことは、江雪の思慮ではどうにもできませんでした、まことに家の滅ぶべき運命でございましょう、しかしながら、日本国の兵を引き受けたことは、北条家の面目であり、このほかに申すことはありません、早く首を刎ねられよ、と言った。秀吉は顔色が和らぎ、お前は京に引き上げて磔にしようと思っていたが、大言を吐いて主君を辱めなかったのは、大丈夫というべきである、命を助ける、私に仕えよ、と言って赦された。これより岡と名乗った。
解説

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