師導古典を学びたいすべての人に

風姿花伝 / 第七 別紙口伝

一 こまかなる口伝にいはく音曲 舞 はたらき 振 風情 これまた同じ心なりこれいつもの風情音曲なればさやうにぞあらんずらんと人の思ひなれたるところをさのみに住せずして心根に同じ振ながらもとよりはかるがると風体を嗜みいつもの音曲なれどもなほ故実をめぐらして曲を彩り声色を嗜みてわが心にも今ほどに執することなしと大事にしてこのわざをすれば見聞く人常よりもなほおもしろしなど批判にあふことありこれは見聞く人の為めづらしき心にあらずや然れば同じ音曲風情をするとも上手のしたらんは別におもしろかるべし下手はもとよりならひおぼえつる節博士の分なればめづらしき思ひなし上手と申すは同じ節かかりなれども曲を心得たり曲といふは節のうへの花なり同じ上手同じ花のうちにても無上の公案をきはめたらんはなほかつ花を知るべし凡そ音曲にも節は定まれる形木 曲は上手の物なり舞にも手は習へる形木 品かかりは上手の物なり

書き下し

一、こまかなる口伝にいはく、音曲、舞、はたらき、振、風情、これまた同じ心なり。これいつもの風情音曲なれば、さやうにぞあらんずらんと人の思ひなれたるところを、さのみに住せずして、心根に同じ振ながらも、もとよりはかるがると風体を嗜み、いつもの音曲なれども、なほ故実をめぐらして曲を彩り、声色を嗜みて、わが心にも今ほどに執することなしと大事にして、このわざをすれば、見聞く人常よりもなほおもしろしなど、批判にあふことあり。これは見聞く人の為、めづらしき心にあらずや。然れば、同じ音曲風情をするとも、上手のしたらんは別におもしろかるべし。下手はもとよりならひおぼえつる節博士の分なれば、めづらしき思ひなし。上手と申すは、同じ節かかりなれども曲を心得たり。曲といふは節のうへの花なり。同じ上手同じ花のうちにても、無上の公案をきはめたらんは、なほかつ花を知るべし。凡そ音曲にも、節は定まれる形木、曲は上手の物なり。舞にも、手は習へる形木、品かかりは上手の物なり。

現代語訳

一、細かな点についての口伝で言う。音曲・舞・所作・身振り・風情、これらもまた同じ心得である。これはいつも通りの風情や音曲だから、こう演じるだろうと観客が予想し慣れているところに、あまり留まらず、心の底では同じ身振りでありながらも、もともと軽やかに芸風を心がけ、いつもの音曲であっても、さらに古来の作法を工夫して節に彩りを加え、声づかいを整え、自分でも今ほど念入りにしたことはないと大切に演じる。そうすると、観聞きする人はいつもより一段と面白いなどと評判になることがある。これは観聞きする人にとって、珍しいと感じる心が生まれたからではないか。だから、同じ音曲や風情を演じても、上手が演じたものは格別に面白いのだ。下手は初めに習い覚えた節の型どおりでしかないから、珍しさは生まれない。上手というのは、同じ節回しであっても「曲(きょく)」を心得ている。曲とは節の上に咲く花である。同じ上手、同じ花のうちにあっても、この上ない工夫を極めた者は、さらにいっそう花を知ることになる。おおよそ音曲においても、節は定まった型であり、曲は上手だけが持つものだ。舞においても、手は習い覚えた型であり、品格や風情は上手だけが持つものなのである。

解説

この一節は、花が特別な演目だけでなく、日々繰り返す音曲・舞・所作といった基本芸のなかにも宿ることを説きます。観客が「いつも通り」と予想し慣れた芸を、そのまま繰り返すのではなく、軽やかさや古来の作法の工夫を凝らして丁寧に演じれば、同じ演目でも「珍しさ」が生まれ、いっそう面白く映るというのです。世阿弥はここで「節」と「曲」を区別します。節は誰もが習う定まった型、曲はその型の上に上手だけが咲かせる花です。第七別紙口伝の中で、花が細部の演技にまで及ぶことを示す実践的な一段です。現代の仕事でも、定型業務を型どおりにこなすだけでなく、そこに一手間の工夫と丁寧さを加えられる人が、同じ作業から価値を生み出します。基本の型を土台にした細部の彩りこそ、熟練者と初心者を分ける差だと教えています。

この章句が説くこと

形木音曲上手と下手珍しさ

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる