韓非子 / 備內第十七
情非憎人也,利在人之死也。故后妃、夫人太子之黨成而欲君之死也,君不死,則勢不重。情非憎君也,利在君之死也。故人主不可以不加心於利己死者。故日月暈圍於外,其賊在内,備其所憎,禍在所愛。
新字:情非憎人也,利在人之死也。故后妃、夫人太子之党成而欲君之死也,君不死,則勢不重。情非憎君也,利在君之死也。故人主不可以不加心於利己死者。故日月暈囲於外,其賊在内,備其所憎,禍在所愛。
書き下し
情、人を憎むに非ざるなり、利、人の死するに在ればなり。故に后妃・夫人・太子の黨成りて君の死を欲するなり。君死せざれば、則ち勢重からず。情、君を憎むに非ざるなり、利、君の死するに在ればなり。故に人主は己の死を利とする者に心を加へざる可からず。故に日月は暈(かさ)外を圍めども、其の賊は内に在り。其の憎む所に備ふるも、禍は愛する所に在り。
現代語訳
(棺桶屋の)心情が人を憎んでいるわけではない。ただ利益が人の死によって生じる構造になっているだけである。同じように、后妃・夫人・太子の一派ができあがると、彼らは君主の死を望むようになる。君主が死ななければ自分たちの権勢が重くならないからだ。心情として君主を憎んでいるのではなく、利益が君主の死にあるからである。だから君主は、自分の死が利益になる者に対して用心しないわけにはいかない。日や月はかさが外側を囲んでいても、それを食うものは内側にある。憎んでいる相手に備えていても、禍は愛している者の側から起きる。
解説
この章句は、人が動く根っこにあるのは「情け」ではなく「利益」だと説きます。原文では、跡継ぎを推す妃や側近たちが、君主その人を憎んでいるわけではないのに、君主が長く生きているとかえって自分たちの立場が定まらないため、心のどこかで代替わりを望んでしまう、という冷めた人間観が示されています。これは家庭や近所付き合いでも起こりえます。例えば嫁と姑の折り合いが悪いのは互いの気立てが悪いからではなく、家の中でどちらの意向が通るかという取り分の奪い合いになっているからかもしれません。揉め事が起きたときは、相手の人柄を責める前に、双方がどんな取り分を望まざるを得ない立場に置かれているかを見直すと、対立の根を断つ手がかりが見つかります。
この章句が説くこと
利益構造インセンティブ設計システム思考対立人のせい
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