呂氏春秋 / 遇合②
凡能聽說者,必達乎論議者也。世主之能識論議者寡,所遇惡得不苟?凡能聽音者,必達於五聲。人之能知五聲者寡,所善惡得不苟?客有以吹籟見越王者,羽角宮徵商不謬,越王不善,為野音而反善之。說之道亦有如此者也。
新字:凡能聴説者,必達乎論議者也。世主之能識論議者寡,所遇悪得不苟?凡能聴音者,必達於五声。人之能知五声者寡,所善悪得不苟?客有以吹籟見越王者,羽角宮徴商不謬,越王不善,為野音而反善之。説之道亦有如此者也。
書き下し
凡そ能く説を聽く者は、必ず論議に達する者なり。世主の能く論議を識る者は寡し。遇う所惡くんぞ不苟を得んや。凡そ能く音を聽く者は、必ず五聲に達す。人の能く五聲を知る者は寡し。善くする所惡くんぞ不苟を得んや。客に籟を吹くを以て越王に見ゆる者有り。羽・角・宮・徴・商、謬たざるも、越王善しとせず。野音を為せば而ち反って之を善しとす。説の道も亦た此くの如き者有るなり。
現代語訳
そもそも人の説をよく聴き分けられる者は、必ず議論に精通している者だ。だが世の君主で議論を見分けられる者は少ない。とすれば、めぐり合う相手にどうして迎合せずにいられよう。そもそも音楽をよく聴き分けられる者は、必ず五声に精通している。だが人で五声を知る者は少ない。とすれば、よしとされるのにどうして迎合せずにいられよう。ある食客が笛を吹いて越王に謁見し、羽・角・宮・徴・商の五音を正しく奏でたが、越王は善しとしなかった。俗っぽい調子を吹くと、かえってこれを善しとした。人を説得する道もこれと同じことがある。
解説
正しい議論や本格的な音楽を理解できる為政者は少なく、だから優れた説も相手次第で迎合を強いられる、と説きます。背景には、聴き手の水準が低ければ真価が評価されず、俗受けする方が好まれるという遇合の不条理があります。正確な五音より野卑な調子を喜んだ越王の例が痛烈です。現代でも、提案や作品の良し悪しが受け手の理解力に大きく左右され、本質より分かりやすさが好まれる現実は変わりません。伝える側が相手の水準をどう見極めるかを考えさせる一段です。
この章句が説くこと
遇合論議五声越王迎合説得
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人生を、一行の式にしてみた。
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