塩鉄論 / 結和篇
大夫曰:「伯翳之始封秦、地為七十里。穆公開霸、孝公廣業。自卑至上、自小至大。故先祖基之、子孫成之。軒轅戰涿鹿、殺兩皞、蚩尤而為帝、湯、武伐夏、商、誅桀、紂而為王。黃帝以戰成功、湯、武以伐成孝。故手足之勤、腹腸之養也。當世之務、後世之利也。今四夷內侵、不攘、萬世必有長患。先帝興義兵以誅強暴、東滅朝鮮、西定冉、駹、南擒百越、北挫強胡、追匈奴以廣北州、湯、武之舉、蚩尤之兵也。故聖主斥地、非私其利、用兵、非徒奮怒也、所以匡難辟害、以為黎民遠慮。」
新字:大夫曰:「伯翳之始封秦、地為七十里。穆公開覇、孝公広業。自卑至上、自小至大。故先祖基之、子孫成之。軒轅戦涿鹿、殺両皞、蚩尤而為帝、湯、武伐夏、商、誅桀、紂而為王。黄帝以戦成功、湯、武以伐成孝。故手足之勤、腹腸之養也。当世之務、後世之利也。今四夷内侵、不攘、万世必有長患。先帝興義兵以誅強暴、東滅朝鮮、西定冉、駹、南擒百越、北挫強胡、追匈奴以広北州、湯、武之舉、蚩尤之兵也。故聖主斥地、非私其利、用兵、非徒奮怒也、所以匡難辟害、以為黎民遠慮。」
書き下し
大夫曰く、伯翳の始めて秦に封ぜらるるや、地は七十里たり。穆公は霸を開き、孝公は業を廣む。卑きより上に至り、小より大に至る。故に先祖之に基し、子孫之を成す。軒轅は涿鹿に戰い、兩皞・蚩尤を殺して帝と為り、湯・武は夏・商を伐ち、桀・紂を誅して王と為る。黃帝は戰を以て功を成し、湯・武は伐を以て孝を成す。故に手足の勤めは、腹腸の養いなり。當世の務めは、後世の利なり。今、四夷內に侵すに、攘わずんば、萬世必ず長患有らん。先帝義兵を興して以て強暴を誅し、東は朝鮮を滅ぼし、西は冉・駹を定め、南は百越を擒にし、北は強胡を挫き、匈奴を追いて以て北州を廣む。湯・武の舉、蚩尤の兵なり。故に聖主の地を斥むるは、其の利を私するに非ず、兵を用うるは、徒らに怒りを奮うに非ざるなり。難を匡し害を辟け、以て黎民の為に遠く慮る所以なり。
現代語訳
大夫が言った。「伯翳がはじめて秦に封じられたとき、その地は七十里であった。穆公が覇を開き、孝公が事業を広げた。低いところから上へ、小さいところから大きくへ。先祖がその礎を築き、子孫がそれを成し遂げたのだ。軒轅は涿鹿に戦い、両皞と蚩尤を討って帝となり、湯王と武王は夏と商を伐ち、桀と紂を誅して王となった。黄帝は戦によって功を成し、湯・武は討伐によって孝を成した。手足の労苦は、腹と腸を養うためのものだ。いまの世の務めは、後の世の利益なのだ。いま四方の異民族が内に侵しているのに払いのけなければ、万世にわたって長い患いを残す。先帝は義兵を起こして強暴を誅し、東は朝鮮を滅ぼし、西は冉・駹を平定し、南は百越を捕らえ、北は強い胡を挫き、匈奴を追って北の州を広げられた。これは湯・武の挙であり、蚩尤を討った兵である。だから聖主が領地を広げるのは、その利益を私するためではなく、兵を用いるのは、いたずらに怒りを振るうためでもない。難儀を正し害を避け、民のために遠くまで慮るからなのだ」
解説
この章句が説くこと
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