説苑 / 善說
齊宣王出獵於社山,社山父老十三人相與勞王,王曰:「父老苦矣!」謂左右賜父老田不租,父老皆拜,閭丘先生不拜。王曰:「父老以為少耶?」謂左右復賜父老無徭役,父老皆拜,閭丘先生又不拜。王曰:「拜者去,不拜者前。」曰:「寡人今觀父老幸而勞之,故賜父老田不租,父老皆拜,先生獨不拜,寡人自以為少,故賜父老無徭役,父老皆拜,先生又獨不拜,寡人得無有過乎?」閭丘先生對曰:「惟聞大王來遊,所以為勞大王,望得壽於大王,望得富於大王,望得貴於大王。」王曰:「天殺生有時,非寡人所得與也,無以壽先生;倉廩雖實,以備災害,無以富先生;大官無缺,小官卑賤,無以貴先生。」閭丘先生對曰:「此非人臣所敢望也。願大王選良富家子,有修行者以為吏,平其法度,如此臣少可以得壽焉;春秋冬夏,振之以時,無煩擾百姓,如是臣可少得以富焉;願大王出令,令少者敬長,長者敬老,如是臣可少得以貴焉;今大王幸賜臣田不租,然則倉廩將虛也。賜臣無徭役,然則官府無使焉,此固非人臣之所敢望也。」齊王曰:「善。願請先生為相。」
新字:斉宣王出猟於社山,社山父老十三人相与労王,王曰:「父老苦矣!」謂左右賜父老田不租,父老皆拝,閭丘先生不拝。王曰:「父老以為少耶?」謂左右復賜父老無徭役,父老皆拝,閭丘先生又不拝。王曰:「拝者去,不拝者前。」曰:「寡人今観父老幸而労之,故賜父老田不租,父老皆拝,先生独不拝,寡人自以為少,故賜父老無徭役,父老皆拝,先生又独不拝,寡人得無有過乎?」閭丘先生対曰:「惟聞大王来遊,所以為労大王,望得寿於大王,望得富於大王,望得貴於大王。」王曰:「天殺生有時,非寡人所得与也,無以寿先生;倉廩雖実,以備災害,無以富先生;大官無欠,小官卑賤,無以貴先生。」閭丘先生対曰:「此非人臣所敢望也。願大王選良富家子,有修行者以為吏,平其法度,如此臣少可以得寿焉;春秋冬夏,振之以時,無煩擾百姓,如是臣可少得以富焉;願大王出令,令少者敬長,長者敬老,如是臣可少得以貴焉;今大王幸賜臣田不租,然則倉廩将虚也。賜臣無徭役,然則官府無使焉,此固非人臣之所敢望也。」斉王曰:「善。願請先生為相。」
書き下し
齊の宣王社山に出獵す。社山の父老十三人相與に王を勞う。王曰く、「父老苦しめり。」左右に謂いて父老に田租を賜わずして、父老皆拜す。閭丘先生拜せず。王曰く、「父老以て少しと爲すか。」左右に謂いて復た父老に徭役無きを賜う。父老皆拜す。閭丘先生又た拜せず。王曰く、「拜する者は去れ、拜せざる者は前め。」曰く、「寡人今父老の幸いにして之を勞うるを觀て、故に父老に田租無きを賜い、父老皆拜す。先生獨り拜せず。寡人自ら少しと爲すを以て、故に父老に徭役無きを賜い、父老皆拜す。先生又た獨り拜せず。寡人過ち有ること無きを得んか。」閭丘先生對えて曰く、「惟だ大王の來遊すと聞き、大王を勞う所以なり。大王に壽を得んことを望み、大王に富を得んことを望み、大王に貴を得んことを望むなり。」王曰く、「天の殺生時有り、寡人の與り得る所に非ず、以て先生を壽せしむる無し。倉廩實つと雖も、以て災害に備う、以て先生を富ましむる無し。大官缺くる無く、小官卑賤なり、以て先生を貴くする無し。」閭丘先生對えて曰く、「此れ人臣の敢えて望む所に非ざるなり。願わくは大王良富の家の子、修行有る者を選びて以て吏と爲し、其の法度を平らかにせよ。此くの如くんば臣少しく以て壽を得べし。春秋冬夏、之を振うに時を以てし、百姓を煩擾する無かれ。是くの如くんば臣少しく以て富を得べし。願わくは大王令を出だし、少き者をして長を敬わしめ、長ずる者をして老を敬わしめよ。是くの如くんば臣少しく以て貴を得べし。今大王幸いに臣に田租無きを賜えば、然らば則ち倉廩將に虛しからんとす。臣に徭役無きを賜えば、然らば則ち官府使う無からん。此れ固より人臣の敢えて望む所に非ざるなり。」齊王曰く、「善し。願わくは先生を請いて相と爲さん。」
現代語訳
斉の宣王が社山へ狩りに出かけた。社山の長老十三人が揃って王をねぎらった。王は『長老たちは苦労してきたな』と言い、側近に命じて長老たちの田租を免除させた。長老たちは皆拝礼したが、閭丘先生だけは拝礼しなかった。王は『長老たちはこれでも少ないと思っているのか』と、さらに賦役も免除させた。長老たちは皆拝礼したが、閭丘先生はまた拝礼しなかった。王は『拝礼した者は下がってよい、拝礼しない者は前へ出よ』と言い、続けた。『私は今、長老たちの労苦を目にして田租を免除し、皆拝礼したのに、先生だけは拝礼しない。私は少ないと思い賦役も免除させ、皆拝礼したのに、先生はまた一人だけ拝礼しない。私に何か過ちがあるのだろうか。』閭丘先生は答えた。『大王がこちらへ遊びに来られたと聞いたので、大王をねぎらいに参ったのです。大王が長寿を得られること、富を得られること、貴い地位を保たれることを望んでおります。』王は言った。『天の生死の定めには時があり、私の関与できることではないので、先生に長寿を授けることはできない。倉庫は満ちているとはいえ、それは災害への備えであって、先生を富ませることはできない。高位の官職には空きがなく、下級の官職は卑しいので、先生を貴くすることもできない。』閭丘先生は答えた。『それは臣下があえて望むことではございません。願わくは大王が、良家の子弟で修養のある者を選んで役人とし、法度を公平にしていただきたい。そうすれば私も少しは長寿を得られましょう。春夏秋冬、時節に応じて民を振興させ、百姓を煩わせなければ、私も少しは富を得られましょう。大王が命令を発し、若者に年長者を敬わせ、年長者に老人を敬わせれば、私も少しは貴くなれましょう。今大王が私に田租免除を賜れば、倉庫はやがて空になるでしょう。私に賦役免除を賜れば、官府には使う人手がなくなるでしょう。これはもとより臣下があえて望むところではないのです。』斉王は『なるほど』と言い、『どうか先生を宰相にお迎えしたい』と願った。
解説
この章句が説くこと
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説苑・貴德晋の平公春臺を築く、叔向曰く、「不可なり。古者聖王は徳を貴びて施すことを務め、刑辟を緩くして民時に趨けり。今春臺を築くは、是れ民の時を奪ふなり。夫れ徳施されざれば、則ち民帰せず、刑緩くならざれば、則ち百姓愁ふ。帰せざるの民をして、愁怨の百姓を役せしめ、而して又其の時を奪ふは、是れ重ねて竭くすなり。夫れ百姓を牧するに、之を養育して而も重ねて之を竭くすは、豈に命を安んじ存を安んずる所以にして、人君と後世に称せられんや」と。平公曰く、「善し」と、乃ち臺の役を罷む。
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『徂徠先生答問書』卷下一官府事務の文字の事御申越候。通典律令の類御覧不被成候へば済不申物に候。異朝の歴代は、代々の制法に替有之候。皆其代其代の開祖の君の料簡にて世界全体の組立に替り有之候故、制法替有之候。是を会得不申候へば其時代の事済不申候故。歴史を見候ても得と済不申物に候。三代の事経書の上は、周礼儀礼々記済不申候へば見え分れ不申候。日本の事跡も、律令延喜式を見不申候へば、公家の代の事は済不申候。右のごとく異国代々の制度の替日本の昔の制度の替を存知候へば、今日当代の上も此処異国と替り、其処昔公家の代と替候と申事明に相知れ申候故、今日の政務の上明に罷成事に候。四書近思録等の理学の書計見候人は、事務の違を不存候故、正真の胡椒丸呑とやらん申物にて候。序に申進候。唐太宗の政務宜敷天下治り候験を斗米三銭と有之候。一斗の米を三文に売申候事に候。近年米価少下直に罷成候へば、武家町人百姓共に困急以の外に候。かやうの違は如何様の儀に候哉。是皆制度の替りより世界の模様にも格別に成行候事に候。官府事務の文字の事被仰下候儀能御心付と存候事に候。
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『政談』右四册大意の事右四册の物語りに瑣細なるまでを記したることは、当時は法の立てやう未熟にて、大なる所に法立たず、末に計り法立ちてある故世界に締り無く、風俗ひたものに移り行き、今は法は法にて有りながら、下は下にて別々になりて、法も詮無きことに成りたることを知らせ奉らんためなり、当時のことなど見及び聞及びたる争などを少々書きたるは、定めて承はり違ひもあるべし、又愚按の違ひもあるべし、政治の道はひきつはなれたることにあらず、世の成行世界の全体を知し召すこと肝要なり、肝心の所は世界旅宿の境界なると、諸事の制度なきと、此二つに帰することなり、是によりて、戸籍を立て万民を住所に有付ると、町人百姓と武家と制度の差別を立ると、大名の家に制度を立ると御買上と云ことの之なきやうにすると、大体是にて世界はすぐなをり豊かに成るへし、
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『政談』當時制度之なき事皆下の成行きのまゝのことにて、其上に何となく礼のやうなるもの有るようなるを、上よりも其成来りの上に時々かやうに仕まつれ箇様に仕まつるなと仰せ出されたることなれば、真の制度と云ふ物にては曽てこれなきなり、真の制度と云ふものは往古を鑑み本来を計り、畢竟世界の安穏に末永く豊かなるやうに上の了簡を以て立て置き候ことにて、往古を鑑みることは惣して人情と云ふものは、時代の変りなく古今も同しことなり、往古の聖人能く人情を知り玉ひて人情相合ふて人たるものゝ勝手よく、人情にて悪き方へ流れたがる所を知りて之を押へ玉へるすぢも、兎角古を鑑みれは明かに知らるゝことなり、又時代の違ひにて、少々增减をせねはならぬことある筋も、論語に損益する処とある通に、何もかも古を鑑とする内に備りてあり、未来を測ることは制度は其御代の伝り果てん限りは永く守るべき者なれば、兎角質素なるか善きとて質素過きて制度を立て置くときは、代の末になるほと文華になるもの故遂には制度を破ることになるによりて、
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『政談』諸色直段の事偖又用ゆるもの多き故に高直になる、此用ゆる者多きは制度なきより起れり、元来貴き人は善きものを用ひ、賤きものは悪きものを用ゆるときは、物各々其宜きを得るゆゑ諸色高直にはならぬを、今は賤き者まても善きものを用ゆると云は如何やうの事なれは、御城下に来集る民は素は田舎のものにて、麦粟種等の雑穀を食し、濁酒を飲み、味噌をも食せす、すくも火を焼き、麻木綿を織て着し、席薦の上に寝臥をしたるものか、心儘に御城下に来住する故、米味噌を食し、薪を焼き、炭の火にあたり、衣服も買整へて着し、善酒を飲み、田舎に之なき障子を立て、天井を張り、唐紙を張り、畳を敷き、蚊屋を釣るなとすることは、ぼていふりも皆斯の如し、少しも善き町人は衣服食事家居器物まても金さへあれは大名と同しことにて誰れ制する者なし、是諸物の用ゆる人多き故諸色の高直なること尤なり、
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『政談』當時困窮を改むる道古三代の制度を考へ定むべき事日本国中皆我か国なれは何もかも日本国中より出るものは我かものなるを、人の物と思ひて代を出して買ひ調ふること大なる取違へなり、是天下を保ち玉ふても矢張り大名の仕方なり、其起り御入国の時分は未た大名にてまします、関ケ原御陣より大坂御陣まては天下の諸大名あの方より帰伏し奉るとも、未た天下を知し召したると云ふ名目は付られねは御制度を御定めあるへき様なし、大坂御陣の翌年東照宮御他界遊はされ間もなきことなれは、是まての所に御制法も立て玉はす、其以後に執政の面々皆不学にて和漢の古法に暗く、矢張大名にて御座なされし時の仕掛の今まても執行はるゝによりて斯の如くの誤りあるなり、然れは御領私領ともに一年の年貢米を食料はかり残して、其外は悉く売払ひ金にして其金にて諸国のものを買調へて日夜朝暮の用事を弁すること是れ当時武家の有様なり、
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