孔子家語 / 六本
孔子曰:「巧而好度,必攻;勇而好問,必勝;智而好謀,必成。以愚者反之。是以:非其人,告之弗聽;非其地,樹之弗生。得其人,如聚砂而雨之;非其人,如會聾而鼓之。夫處重擅寵,專事妒賢,愚者之情也。位高則危,任重則崩,可立而待。」
新字:孔子曰:「巧而好度,必攻;勇而好問,必勝;智而好謀,必成。以愚者反之。是以:非其人,告之弗聴;非其地,樹之弗生。得其人,如聚砂而雨之;非其人,如会聾而鼓之。夫処重擅寵,専事妒賢,愚者之情也。位高則危,任重則崩,可立而待。」
書き下し
孔子曰わく、「巧みにして度を好めば、必ず攻む。勇にして問うを好めば、必ず勝つ。智にして謀を好めば、必ず成る。愚者を以て之れに反す。是を以て、其の人に非ざれば、之れに告ぐるも聴かず。其の地に非ざれば、之れを樹うるも生ぜず。其の人を得れば、砂を聚めて之れに雨するが如し。其の人に非ざれば、聾を会めて之れを鼓するが如し。夫れ重きに処り寵を擅にし、専ら賢を妒むを事とするは、愚者の情なり。位高ければ則ち危うく、任重ければ則ち崩る、立ちて待つ可し。」
現代語訳
孔子は言った。「巧みでありながら計画を好む者は、必ず物事を成し遂げる。勇敢でありながら人に問うことを好む者は、必ず勝利する。知恵があり策を練ることを好む者は、必ず成功する。愚か者はこれと反対のことをする。だから、ふさわしくない人に教えを告げても聞き入れられず、ふさわしくない土地に木を植えても育たない。ふさわしい人を得れば、砂を集めてそこに雨を降らせるように(自然と効果が)集まってくるが、ふさわしくない人には、耳の聞こえない者を集めて太鼓を打ち鳴らすようなもので、何の効果もない。高い地位に居座り寵愛をほしいままにし、もっぱら賢者をねたむことばかりに専念するのは、愚か者の性根である。地位が高ければ危うく、任務が重ければ崩れ落ちる。それは立ったまま待っていればすぐに分かることだ。」
解説
才能や勇気、知恵があっても、それだけでは不十分で、計画性・謙虚に問う姿勢・熟慮した策略を伴ってこそ真に力を発揮できるという教えです。逆に愚か者はそれらを欠いたまま行動するため失敗すると説きます。また、教えや働きかけは相手や場を選ばなければ効果がないという比喩(耳の聞こえない者に太鼓を打っても無駄)を用い、適材適所の大切さを強調しています。さらに、高い地位に居座りながら賢者をねたむような愚か者は、いずれ地位の高さや責任の重さに押しつぶされて破滅すると警告しており、才知だけでなく謙虚さと自省を欠いた者の末路を戒める内容になっています。
この章句が説くこと
巧勇智適材適所妒賢
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