貞観政要 / 公平
貞觀二年,太宗謂房玄齡等曰:「朕比見隋代遺老,咸稱高颎善為相者,遂觀其本傳,可謂公平正直,尤識治體,隋室安危,系其存沒。煬帝無道,枉見誅夷,何嘗不想見此人,廢書欽嘆!又漢、魏以來,諸葛亮為丞相,亦甚平直,嘗表廢廖立、李嚴於南中,立聞亮卒,泣曰:『吾其左衽矣!』嚴聞亮卒,發病而死。故陳壽稱『亮之為政,開誠心,布公道,盡忠益時者,雖讎必賞;犯法怠慢者,雖親必罰。』卿等豈可不企慕及之?朕今每慕前代帝王之善者,卿等亦可慕宰相之賢者,若如是,則榮名高位,可以長守。」玄齡對曰:「臣聞理國要道,在於公平正直,故《尚書》云:『無偏無黨,王道蕩蕩。無黨無偏,王道平平。』又孔子稱『舉直錯諸枉,則民服』。今聖慮所尚,誠足以極政教之源,盡至公之要,囊括區宇,化成天下。」太宗曰:「此直朕之所懷,豈有與卿等言之而不行也?」
新字:貞観二年,太宗謂房玄齢等曰:「朕比見隋代遺老,咸称高颎善為相者,遂観其本伝,可謂公平正直,尤識治体,隋室安危,系其存没。煬帝無道,枉見誅夷,何嘗不想見此人,廃書欽嘆!又漢、魏以来,諸葛亮為丞相,亦甚平直,嘗表廃廖立、李厳於南中,立聞亮卒,泣曰:『吾其左衽矣!』厳聞亮卒,発病而死。故陳寿称『亮之為政,開誠心,布公道,尽忠益時者,雖讎必賞;犯法怠慢者,雖親必罰。』卿等豈可不企慕及之?朕今毎慕前代帝王之善者,卿等亦可慕宰相之賢者,若如是,則栄名高位,可以長守。」玄齢対曰:「臣聞理国要道,在於公平正直,故《尚書》云:『無偏無党,王道蕩蕩。無党無偏,王道平平。』又孔子称『舉直錯諸枉,則民服』。今聖慮所尚,誠足以極政教之源,尽至公之要,嚢括区宇,化成天下。」太宗曰:「此直朕之所懐,豈有与卿等言之而不行也?」
書き下し
貞観二年、太宗房玄齢等に謂いて曰く、「朕は比(このごろ)隋代の遺老を見るに、咸な高熲は善く相為る者と称す。遂に其の本伝を観るに、公平正直と謂うべし。尤も治体を識る。隋室の安危は、其の存没に系(かか)る。煬帝は無道にして、枉げて誅夷せらる。何ぞ嘗て此の人を想見し、書を廃して欽嘆せざらんや。又た漢・魏より以来、諸葛亮は丞相と為り、亦た甚だ平直なり。嘗て表して廖立・李厳を南中に廃す。立は亮の卒するを聞き、泣きて曰く、『吾は其れ左衽せんか』と。厳は亮の卒するを聞き、病を発して死す。故に陳寿は称す、『亮の政を為すや、誠心を開き、公道を布く。忠を尽くし時に益ある者は、讎と雖も必ず賞す。法を犯し怠慢なる者は、親と雖も必ず罰す』と。卿等豈に企慕して之に及ばざるべけんや。朕は今、前代の帝王の善き者を慕う毎に、卿等も亦た宰相の賢なる者を慕うべし。若し是くの如くんば、則ち栄名高位、以て長く守るべし」と。玄齢対えて曰く、「臣聞く、国を理むるの要道は、公平正直に在り、と。故に『尚書』に云う、『偏無く党無ければ、王道は蕩蕩たり。党無く偏無ければ、王道は平平たり』と。又た孔子は『直きを挙げて諸を枉れるに錯(お)けば、則ち民服す』と称す。今、聖慮の尚ぶ所は、誠に以て政教の源を極め、至公の要を尽くし、区宇を囊括し、化して天下を成すに足る」と。太宗曰く、「此れ直だ朕の懐う所なり。豈に卿等と之を言いて行わざる有らんや」と。
現代語訳
貞観二年、太宗が房玄齢らに言った。「私は近頃、隋の時代の老臣に会うと、みな高熲はよく宰相を務めた者だと言う。そこでその伝記を読むと、公平正直というべきで、とりわけ治世の本質を知っていた。隋の安危は、彼の生死にかかっていた。煬帝は無道で、無実の彼を殺した。この人を思い浮かべ、書を置いて感嘆しないことがあろうか。また漢・魏以来、諸葛亮は丞相となり、やはり極めて公平で率直だった。かつて上表して廖立と李厳を南方に追放した。廖立は諸葛亮が亡くなったと聞いて泣き、『私は異民族に落ちるのか』と言った。李厳は諸葛亮が亡くなったと聞き、病を発して死んだ。だから陳寿は讃えた。『諸葛亮の政治は、誠の心を開き、公の道を敷いた。忠を尽くし時代に益する者は、仇であっても必ず賞した。法を犯し怠慢な者は、身内であっても必ず罰した』と。諸君も慕って及ぼうとしないわけにいくまい。私が前代の名君を慕うように、諸君も賢い宰相を慕うがよい。そうすれば、栄誉ある名と高い位を、長く守れる」。房玄齢が答えて言った。「臣はこう聞いております。国を治める要道は、公平正直にある、と。だから『書経』に『偏りなく党派なければ、王道は広々としている。党派なく偏りなければ、王道は平らかである』とあります。また孔子は『まっすぐな者を挙げて、曲がった者の上に置けば、民は服する』と言いました。今、陛下が尊ばれるところは、まことに政治と教化の源を極め、公正の要を尽くし、天下を包み込んで教化するに足ります」。太宗は言った。「これはまさに私の思うところだ。諸君と語って、行わないことがあろうか」。
解説
この章句が説くこと
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