鬼谷子 / 符言篇
德之術、曰:勿堅而拒之。許之則防守、拒之則閉塞。高山仰之可極、深淵度之可測。神明之徳術正靜、其莫之極。右主徳。用賞貴信、用刑貴正。賞賜貴信、必驗耳目之所見聞、其所不見聞者、莫不闇化矣。誠暢於天下神明、而况姦者干君?右主賞。
新字:徳之術、曰:勿堅而拒之。許之則防守、拒之則閉塞。高山仰之可極、深淵度之可測。神明之徳術正静、其莫之極。右主徳。用賞貴信、用刑貴正。賞賜貴信、必験耳目之所見聞、其所不見聞者、莫不闇化矣。誠暢於天下神明、而況姦者干君?右主賞。
書き下し
德の術に曰く、堅くして之を拒む勿かれ、と。之を許せば則ち防ぎ守り、之を拒めば則ち閉じ塞がる。高山は之を仰げば極むべく、深淵は之を度れば測るべし。神明の徳術は正靜にして、其れ之を極むる莫し。右は徳を主どる。賞を用うるは信を貴び、刑を用うるは正を貴ぶ。賞賜は信を貴び、必ず耳目の見聞する所に驗す。其の見聞せざる所の者も、闇に化せざる莫し。誠は天下神明に暢び、而るを况んや姦者の君を干すをや。右は賞を主どる。
現代語訳
徳の術についてはこう言う。堅くなって相手を拒むな、と。これを許せば防ぎ守るようになり、これを拒めば閉じ塞がってしまう。高い山も仰ぎ見ればきわめられ、深い淵も測れば測れる。神明の徳の術は正しく静かであって、それをきわめ尽くすことはできない。以上は徳についてである。賞を用いるには信を貴び、刑を用いるには正しさを貴ぶ。賞与は信を貴び、必ず耳目で見聞きしたところに照らして験す。見聞きしていないところであっても、ひそかに感化されないことはない。誠は天下と神明にまで伸びる。まして悪しき者が君を犯そうとするのを防げないはずがない。以上は賞についてである。
解説
「之を許せば則ち防ぎ守り、之を拒めば則ち閉じ塞がる」。受け入れれば相手は守ってくれるようになり、拒めば閉じてしまう。人材でも提案でも、最初に拒んだ相手からは二度と出てきません。そして賞罰の原則が続きます。賞は信を貴ぶ——必ず自分が見聞きしたことに照らして与える。伝聞で賞を出せば信が崩れる。しかも見聞きしていないところにも影響は及ぶ、と。賞罰は当事者だけの問題ではなく、見ている全員への通知として働きます。
この章句が説くこと
之を拒めば則ち閉じ塞がる賞を用うるは信を貴び刑を用うるは正を貴ぶ賞罰信頼公平
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貞観政要・択官国家、忠良を進め、不肖を退けんことを思欲すること、十有余載なり。徒らに其の語を聞くも、其の人を見ざるは、何ぞや。蓋し之を言うは是にして、之を行うは非なればなり。之を言うこと是なれば、則ち公道より出づ。之を行うこと非なれば、則ち邪径に渉る。是非相い乱れ、好悪相い攻む。愛する所は罪有りと雖も、刑に及ばず。悪む所は辜(つみ)無しと雖も、罰を免れず。此れ所謂る之を愛せば其の生を欲し、之を悪めば其の死を欲する者なり。或いは小悪を以て大善を棄て、或いは小過を以て大功を忘る。此れ所謂る「君の賞は功無くして求むべからず、君の罰は罪有りて免るべからず」と者なり。賞は以て善を勧めず、罰は以て悪を懲らさずして、邪正の惑わざるを望む。其れ得べけんや。若し賞は疎遠を遺(わす)れず、罰は親貴に阿らず、公平を以て規矩と為し、仁義を以て準縄と為し、事を考えて以て其の名を正し、名に循いて以て其の実を求めば、則ち邪正は隠るる莫く、善悪は自ら分かれん。然る後に其の実を取り、其の華を尚ばず、其の厚きに処り、其の薄きに居らずんば、則ち言わずして化し、期月にして知るべし。若し徒らに美錦を愛して、民の為に官を択ばず、至公の言有りて、至公の実無く、愛して其の悪を知らず、憎みて遂に其の善を忘れ、私情に徇(したが)いて以て邪佞に近づき、公道に背きて忠良を遠ざけば、則ち夙夜怠らず、神を労し思いを苦しむと雖も、将に至理を求めんとするも、得べからざるなり。
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貞観政要・公平貞観二年、太宗房玄齢等に謂いて曰く、「朕は比(このごろ)隋代の遺老を見るに、咸な高熲は善く相為る者と称す。遂に其の本伝を観るに、公平正直と謂うべし。尤も治体を識る。隋室の安危は、其の存没に系(かか)る。煬帝は無道にして、枉げて誅夷せらる。何ぞ嘗て此の人を想見し、書を廃して欽嘆せざらんや。又た漢・魏より以来、諸葛亮は丞相と為り、亦た甚だ平直なり。嘗て表して廖立・李厳を南中に廃す。立は亮の卒するを聞き、泣きて曰く、『吾は其れ左衽せんか』と。厳は亮の卒するを聞き、病を発して死す。故に陳寿は称す、『亮の政を為すや、誠心を開き、公道を布く。忠を尽くし時に益ある者は、讎と雖も必ず賞す。法を犯し怠慢なる者は、親と雖も必ず罰す』と。卿等豈に企慕して之に及ばざるべけんや。朕は今、前代の帝王の善き者を慕う毎に、卿等も亦た宰相の賢なる者を慕うべし。若し是くの如くんば、則ち栄名高位、以て長く守るべし」と。玄齢対えて曰く、「臣聞く、国を理むるの要道は、公平正直に在り、と。故に『尚書』に云う、『偏無く党無ければ、王道は蕩蕩たり。党無く偏無ければ、王道は平平たり』と。又た孔子は『直きを挙げて諸を枉れるに錯(お)けば、則ち民服す』と称す。今、聖慮の尚ぶ所は、誠に以て政教の源を極め、至公の要を尽くし、区宇を囊括し、化して天下を成すに足る」と。太宗曰く、「此れ直だ朕の懐う所なり。豈に卿等と之を言いて行わざる有らんや」と。
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