論語 / 先進篇
南容三復白圭。孔子以其兄之子妻之。
書き下し
南容『白圭』を三復す。孔子、その兄の子を以てこれに妻す。
現代語訳
南容が白圭の詩を何度も繰り返して唱えた。孔子は兄の娘を彼に嫁がせた。
解説
南容は「白圭」という詩を何度も繰り返し口ずさんでいました。これは、言葉づかいを軽々しくしないよう自分を戒める内容の詩です。孔子はその姿を見て、自分の兄の娘を彼に嫁がせました。口先だけの立派な言葉より、日々の何気ないふるまいの中に、その人の本当の姿があらわれるということです。会社でも家庭でも、うまいことを言う人より、地道に自分を戒め、言葉に気をつけながら暮らしている人のほうが、実は信頼できます。人を信頼できるかどうかを見きわめたいときは、その人が普段どんな小さな習慣を大事にしているかに目を向けるとよいでしょう。日頃の積み重ねが、その人の値打ちを物語ります。
この章句が説くこと
南容白圭自省婚姻
関連する章句
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呂氏春秋・應言②白圭、魏王に謂いて曰く、「市丘の鼎は以て雞を烹るも、多く之に洎げば則ち淡くして食す可からず、少なく之に洎げば則ち焦げて熟せず。然れども之を視れば蝺焉として美なり。用う可き所無し。惠子の言は、此に似たる有り。」惠子之を聞きて曰く、「然らず。三軍をして饑えて鼎の旁に居らしむ、適に之が甑を爲れば、則ち此の鼎より宜しきは莫からん。」白圭之を聞きて曰く、「用う可き所無きとは、意者に徒だ其の甑を加うるのみか。」白圭の論は自ら悖れり。其の魏王を少とすること大いに甚だし。惠子の言を以て、蝺焉として美にして用う可き所無しとするは、是れ魏王、言の用う可き所無き者を以て仲父と爲すなり。是れ言の用うる所無き者を以て美と爲すなり。
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呂氏春秋・先識⑤周鼎に饕餮を著す。首有りて身無し。人を食いて未だ咽まざるに、害其の身に及ぶ、以て報更を言うなり。不善を為すも亦た然り。白圭、中山に之く。中山の王、之を留めんと欲す。白圭固く辭し、輿に乘りて去る。又齊に之く。齊王、之を留めて仕えしめんと欲す。又辭して去る。人、其の故を問う。曰く、「之の二國は皆將に亡びんとす。學ぶ所に五盡有り。何をか五盡と謂う。曰く、之を必すること莫ければ、則ち信盡き、之を譽むること莫ければ、則ち名盡き、之を愛すること莫ければ、則ち親盡き、行く者糧無く、居る者食無ければ則ち財盡き、人を用うる能わず、又自ら用うる能わざれば、則ち功盡く。國に此の五者有れば、幸い無くして必ず亡びん。中山・齊は皆此に當たれり。」若し中山の王と齊王とをして、五盡を聞きて之を更めしむれば、則ち必ず亡びざらん。其の患いは聞かず、これを聞くと雖も又信ぜざるあり。然らば則ち人主の務は、善く聽くに在るのみ。夫れ五割して趙に與え、悉く起ちて軍を濟上に距げども、未だ益有らざるなり。是れ其の存する所以を棄てて、其の亡ぶる所以を造せばなり。
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呂氏春秋・應言①白圭、魏王に謂いて曰く、「市丘の鼎は以て雞を烹るも、多く之に洎げば則ち淡くして食す可からず、少なく之に洎げば則ち焦げて熟せず。然れども之を視れば蝺焉として美なり。用う可き所無し。惠子の言は、此に似たる有り。」惠子之を聞きて曰く、「然らず。三軍をして饑えて鼎の旁に居らしむ、適に之が甑を爲れば、則ち此の鼎より宜しきは莫からん。」白圭之を聞きて曰く、「用う可き所無きとは、意者に徒だ其の甑を加うるのみか。」白圭の論は自ら悖れり。其の魏王を少とすること大いに甚だし。惠子の言を以て、蝺焉として美にして用う可き所無しとするは、是れ魏王、言の用う可き所無き者を以て仲父と爲すなり。是れ言の用うる所無き者を以て美と爲すなり。
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呂氏春秋・不屈④白圭新たに惠子と相見ゆるや、惠子之に說くに彊を以てす。白圭以て應うること無し。惠子出づ。白圭人に告げて曰く、「人新たに婦を取る者有り。婦至れば、宜しく安矜・煙視・媚行すべし。豎子、蕉火を操りて鉅いなる。新婦曰く、『蕉火大だ鉅いなり。』門に入るに、門中に歛陷有り。新婦曰く、『之を塞げ、將に人の足を傷つけんとす。』此れ不便の家氏には非ざるなり。然れども大甚なる者有り。今惠子の我に遇うは尚ほ新たなるに、其の我に說くこと大甚なる者有り。」惠子之を聞きて曰く、「然らず。詩に曰く、『愷悌の君子は、民の父母。』愷は大なり。悌は長なり。君子の德、長にして且つ大なれば、則ち民の父母爲り。父母の子を教うるや、豈に久しきを待たんや。何事か我を新婦に比するや。詩に、豈に愷悌の新婦と曰んや。汙を誹るに汙に因り、辟を誹るに辟に因る。是の誹る者は非とする所と同じきなり。」白圭曰く、「惠子の我に遇うは尚ほ新たなるに、其の我に說くこと大甚なる者有り。」惠子聞きて之を誹り、因りて自ら之が父母爲りと以爲えるは、其れ白圭より甚だしきこと有るに非ずや。亦た大甚なる者有り。
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史記 貨殖列伝白圭、時変を楽観す、故に人棄つれば我取り、人取れば我与ふ。能く飲食を薄くし、嗜欲を忍び、衣服を節し、用事の僮仆と苦楽を同じくし、時に趨ること猛獣摯鳥の発するがごとし。故に曰く、「吾生産を治むるは、猶ほ伊尹・呂尚の謀、孫吳の兵を用ゐ、商鞅の法を行ふがごときなり。是の故に其の智権変に与るに足らず、勇以て決断するに足らず、仁以て取予する能はず、彊以て守る所有る能はざれば、吾が術を学ばんと欲すと雖も、終に之に告げざるなり」と。蓋し天下治生を言ふ者は白圭を祖とす。
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呂氏春秋・知分⑤白圭、鄒の公子夏后啓に問いて曰く、「踐繩の節、四上の志、三晉の事、此れ天下のなり。晉に處るを以て、迭々晉の事を聞けども、未だ嘗て踐繩の節、四上之の志を聞かず。願わくは得て之を聞かん。」夏后啓曰く、「鄙人なり。焉ぞ以て問うに足らん。」白圭曰く、「願わくは公子の讓る毋からんことを。」夏后啓曰く、「以て為す可しと為す。故に之を為す。之を為すは、天下も禁ずること能わず。以て為す可からずと為す。故に之を釋つ。之を釋つるは、天下も使しむること能わず。」白圭曰く、「利も使しむること能わざるか。威も禁ずること能わざるか。」夏后啓曰く、「生も以て之を使しむるに足らざれば、則ち利曷ぞ以て之を使しむるに足らん。死も以て之を禁ずるに足らざれば、則ち害曷ぞ以て之を禁ずるに足らん。」白圭以て應うる無し。夏后啓辭して出づ。凡そ賢不肖を使うは異なり。不肖を使うには賞罰を以てし、賢を使うには義を以てす。故に賢主の其の下を使うや必ず義にし、賞罰を審らかにし、然る後賢不肖盡く用を為す。