呂氏春秋 / 有度③
許由非彊也,有所乎通也。有所通則貪汙之利外矣。
書き下し
許由は彊うるに非ず、通ずる所有ればなり。通ずる所有れば、則ち貪汙の利は外なり。
現代語訳
許由が天下の位を辞退したのは無理に努めたのではなく、通じるところがあったからだ。通じるところがあれば、貪欲の利益は自分の外のものとなる。
解説
この段は、天下を譲られながら辞退した伝説の隠者・許由を例に、無欲が我慢や努力の産物でないことを説きます。許由が位を退けたのは欲を無理に抑えたからではなく、道理に「通じる」境地に達していたためで、その結果、貪りの利益は自分と無関係な外のものになった、というのです。背景には、前段の「己を節する」議論を承け、真の無私は内面の到達点だとする思想があります。現代でも、誘惑に耐え続ける意志力型の自制より、価値観が定まって誘惑がそもそも魅力を失う状態のほうが持続的です。欲を敵として戦うのでなく、欲が及ばぬ境地へ至るという発想は、自己管理やリーダーの倫理に示唆を与えます。
この章句が説くこと
許由無欲通じる隠者自制価値観
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